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ほぼ、日記。

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【ほぼ毎日更新】してます。 日々何をしているのか、どんな人生を歩んでいるのかを伝えていきます。 ・人生 ・仕事のこと ・カメラのこと ・プライベートのこと ・挫折経験や失敗談の… もっと読む
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“家族"との向き合い方

最近ずっと考えています。 いや、最近になってより考えるようになりました。 僕自身は「家族」に恵まれなかった身として 複雑な気持ちがあります。 自分が家族に対して何ができるかを 考えるよりも前に 「なんで自分は家族に恵まれなかったのか」を 考える機会がとてもありました。 今も、それはあります。 当然、自分の気持ち次第で ポジティブな時もあるし ネガティブな時もある。 その考える時間を通じて共通することは 家族に対して向き合う時間が人よりも多いこと。 外に出ると目の前に広

Re:Re:Re:Start〜家族写真家〜として多くのご家族と出会うために

ご無沙汰しています。 noteの活動を始めようと思ってます。 理由は、家族写真を撮っていくと新たに決意できたから。 会社を辞めてから、たくさん葛藤しています。 それは今でも続いてます。 前に向かって進めているか、と聞かれると 立ち止まっていた時間の方が圧倒的に多かったと思います。 最近、いや、2024年になって「変化」が生まれました。 そのことが背中を後押ししてくれることにつながっています。 今回は簡単にその起こった出来事を2つ話していこうと。 1つ目、 「なぜ家族写真

お金を稼ぐことを、ちゃんと求める。

独立してから、 フリーランスになってから、 まもなく1年。 自己紹介のところでは、 8月末日退職ということを話した。 形式的にはもちろんそうなのだけど、 個人的には7月が本当のスタートだと思っている。 昨年の7月5日に僕の会社員としての生活は一区切り。 その後は、有休消化期間となったから。 あっという間に、 息するぐらい当たり前に、 月日が流れていて、 ある意味で夢中に生活していたことを実感する。 この1年は、間違いなく変化が起こった期間だった。 友人関係、生活環境そ

最近のちょっぴり嬉しいこと。

僕のnoteを見てくれている人は、 少し気づいていると思うけど、 最近、noteをまた更新し始めた。 何がきっかけだったかと言えば、 そんなたいそうな理由は決してないのだけど、 なんとなくまた書きたくなった。 僕らは何かを始めてしまうと 昨日より少し前進した「更新された姿」を 見せようとしてしまう。 こと、noteのように 多少の日記的な要素があるようなブログだと ポジティブになったことや 何かしらの成果を求めることが多くなる。 まあそれはそれで良いことなのだけど、 そ

くやしさと葛藤

生きていく中で誰もが持ってる。 もっとこんなふうにできたらいいのにという気持ち。 ただ、そんなに現実は甘くないから、 そう思ったとしてもうまくいかない。 人は誰しも、 なにかについて悩みを抱えてる。 目指していたものに到達したと思ったら、 欲が出たのか、それとも到達したから 見えた景色なのかわからないけれど。 気づいたら、目標がまたできてる。 僕の人生でも全く同じだった。 何かができたら、何かができないことにきづく。 足りないものを埋めたら、さらに足りないものを見つ

性格は環境の変化で、成長しやすい。

フリーランスになって 大きく変化したひとつのこと。 それは、相手に与える印象。 もっと言えば、性格みたいなもの。 これまでの僕は 攻撃的で自分のテリトリーに入るひとを 選ぶようなタイプだった。 一言で言うと、「扱いずらい」。 相手に気をつかうよりも 自分の気持ちが大切な人だった。 時には腫れ物に触るような 気難しい性格だったので 人付き合いが得意ではなかった。 ただ、外面はいいので ぱっと見の印象としては、 そんなに悪くもなかった気がする。 誰かに自分の本当の気持ち

自分を見失わない方法。

僕らの生活は日々ストレスとの向き合い。 外的にもたらされる悲しい事実や 誰かに干渉されて支配をされる。 苦しいと思って発散しようとすると 大抵の場合は失敗する。 またやっちゃったと嘆いた時にはもう遅い。 自分を責めるか、誰かに当たっているかのどちらか。 たまに物に当たったりもするけど、 想像以上の頑丈さにまたストレスを感じる。 自分なりに整えたと思った環境下であっても いつの間にかストレスの空間になっていたりもする。 では、どうしたらいいのか。 混沌とした情報社会でどうすれ

経験に知識という武器を

2022年がスタートしたと思うと 時間感覚が少し麻痺しているのか、 あっという間に5月が終わっていた。 残り1ヶ月で、半年も終わってしまう。 何か成長できたことがあるかと聞かれると あんまりできていないようにも感じている。 僕の仕事はフォトグラファー/カメラマン。 おそらく大体の人が想像するような仕事を していると思うし、何か一風変わったことも ないようにも自己分析している。 けれど、 他のカメラを主として商いをしている人と 決定的に違う点がある。 それは、カメラを

時間が"とける"かんかく。

歩いてるときにふとおもう。 じぶんの時間がとけている。 なくなるともちがう。 とける。 わかるないけど、失う感覚ではない。 どちらかというと「馴染む」に近い。 生きていると、時間は「失う」か「過ぎる」という認識が強かったようにおもうけれど、最近はそうではない。あっという間に、気づけば後ろにあるようなものは、実は自分の中に溶け込んでいて血肉のように記憶される。 好きな人との思い出。 楽しく感じていた学生時代。 ちょっと照れくさく感じた母の日/父の日。 いずれもすぎたよ

自分に"在る"ものをかんがえる。

自分が約30年間生きてきた中で 感じてきたことがある。 それは「無い」が多いこと。 人によっては色んな「無い」を抱えてる。 家族、お金、友人、豊かさ、学力などなど…。 今あげただけでも「無い」と感じてきた。 先天的なものもあれば、 後天的に自らのライフスタイルと共に 「無い」を増幅させることがある。 まあ一言で言えば、自分のせいなのだけど。 でも「無い」には無いなりの美学や考えがあるから その想いを無碍にすることは決してできない。 失うものことがこわいから「在る

また会えるまでの日々を。

じゃあね。 と手を振ってさよならする。 人と人が出会えば必ず行うこと。 またね。 と心で唱えながら。 人が生きる時間には限りがある。それを僕らは当たり前のように感じてはいるものの身近には感じていない節がある。たまにくる、唐突な別れと少し前から感じていた「ああこの人とは当分会うことがないのだろうな」という時に感じる感覚。有限とは誰もが持っている、そして出会う事象。 日々を過ごす中で、「一体何年先に来るのかわからない有限」もあれば、「期限を最初から提示されている有限」も

ボクの世界はまだ暗い。

noteへ久々に想いを書いていく。 はっきりいうと「今」とてもつらい。 この気持ちは簡単に説明できるものではない。 それでもここにその感じている想いを少し具現化する。 そういえば僕がカメラに触れて一年が経った。 当時、何もなかった自分からすれば大きな進歩がある。色んな経験をさせてもらえたし、沢山の出会いに恵まれた。一方で想像よりも多く我慢する経験もした。「自分」という1人の生き方という孤独感を、脱サラしフリーランスになってみていっぱいした。周りが優れているように見えて、努力

生きるとは孤独を受け入れるということ。

すこしだけ、本音を言おうと思う。 僕だけが思ってることじゃないはず。 誰もが一度は考えてきたテーマのようなコトバ。 生きるってつらいなぁ…。 嫌なことがあった時、 辛いことがあった時、 誰かに騙された時 周りを傷つけてしまった時、 感情的に怒鳴ってしまった時、 なにか負の力が働いた時に考えたことがあるのではないでしょうか?ぼくらが生きていく中で、切っても切れない人間関係の輪の中できっと思う感情。ためいきをつきながらか、もしくは寝る前の枕元で思うようなことかも知れない。家

ナマケモノ時間

いつも僕のnoteを見てくださってありがとうございます。 皆さんの温かさで今日もnoteを継続できています。 文章を読んだ後に、何か感じることがあればスキとコメントをして欲しいです。 人それぞれに目標がある。 「〇〇を叶えたい」 「〇〇できるようになりたい」 そんな日々の中で、数々の選択という判断をする。 大抵の場合、何かを得ようとすると「新しい何か」を始める。 この「何か」が大きな足枷になってストレスを構築していく経験は僕だけじゃなく皆さんもあるのではないでしょうか。