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ENOZの歴史を考えてみた!

アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の「ライブアライブ」に出てきたガールズバンド「ENOZ」の歴史を勝手に考えてWikipedia風に書いてみました。

ちなみにENOZはこういうバンドです。

「ライブアライブ」に登場するガールズバンド。原作第6巻『動揺』では3人組(ボーカルとギターを同じ人物が担当)であったが、アニメでは4人となった。なお「ENOZ」の名称があるのはアニメ版のみで、原作においては名称は設定されておらず、登場人物の名前も明かされていない。

「ライブアライブ」での文化祭当日はメンバーの体調不良のため、急遽代役としてボーカル&ギターに涼宮ハルヒ、ギターに長門有希を起用する。(アニメでは「God knows...」を演奏する)その後日談にあたるドラマCD「サウンドアラウンド」では本来のメンバーが復帰し、ライブハウスで合同ライブを行った。

好評であったため、代役ボーカルである涼宮ハルヒ名義(正確には「涼宮ハルヒ(平野綾)」表記)で「CD」が出されている。後にENOZのアルバム『Imaginary ENOZ featuring HARUHI』も発売された。

涼宮ハルヒシリーズの登場人物 - Wikipedia

メンバー

全員1986年度生まれ(ハルヒ・長門が高1時点で全員高3)、兵庫県西宮市出身(高校の学区の関係、元ネタとなったZONEも全員北海道札幌市出身だったため)で兵庫県立西宮北高等学校卒業。

「陰謀」のバレンタインデー(2月14日)が日曜日であり、この組み合わせに当たる年が2005年であるため(原作小説の刊行年)、ハルヒ達が高1時点では2004年度(みくるを除き1988年度生まれ)ということになる。
その論拠は以下の通り。

原作の初版が2003年、アニメ化は2006年ですが、 http://mih27.exblog.jp/4280358/ こちらのサイトによると、原作の「動揺」に出でくるバレンタインデーが2月14日月曜日になっており、その組み合わせから2005年と仮定、キョンの高校入学はその前年の2004年と推測されています。

涼宮ハルヒの憂鬱の時代設定はいつ頃なのでしょうか。 - 原作の初版が2003... - Yahoo!知恵袋

とりあえずこの作品に置いて、日付はかなり曖昧であり
季節や、せいぜい月、で抽象的に誤魔化されたりして余り実感無いのですが
1日だけ日にちと曜日を明確に載せている話がありました
2/14(月)
バレンタインデーは月曜日ってのは「動揺」のエピソードで語られています
曜日と言うのは毎年変わるものであり
それが分ればある程度の年も把握できます
2/14日が月曜日の年・・・・・
案外簡単に出た。2005年は2/14が月曜日だ
つまりその1年前は2004
アニメで出てきた話は殆ど2004だと言っていいでしょう

涼宮ハルヒの憂鬱-分りにくい時間軸の解説- : くもりのち跡地 (exblog.jp)

メンバーの誕生日は名前の由来となったZONEの各メンバーと同じ。

榎本 美夕紀(えのもと みゆき、1986年5月20日 - )
ボーカル・ギター担当。CVが門脇舞以。
高校卒業後は指定校推薦で関西学院大学に進学し卒業。財前からは一緒の大学に行くことを誘われたが、親が難色を示したため一般の大学に進んだ(とはいえ関西学院大学も軽音楽部の活動が盛んな大学である)。

中西 貴子(なかにし たかこ、1986年6月13日 - )
ギター担当。
高校卒業後、大阪にある音楽専門学校のギター科に進む。

岡島 瑞樹(おかじま みずき、1986年12月12日 - )
ドラム担当。
高校卒業後は近畿大学に進学。ENOZの活動と並行して大学の音楽サークルでも活動していた。

財前 舞(ざいぜん まい、1986年7月24日 - )
ベース担当。鶴屋さんとは(1学年違いだが)友人。彼女もまた家が金持ち。
ベース以外にピアノも演奏できる。
高校卒業後、大阪芸術大学に進学。音楽系の学科がある神戸芸術工科大学・神戸女学院大学・大阪音楽大学も候補に入れていたが、出身者に有名人が圧倒的に多い(=ミュージシャンとしての成功率が高そう)という理由で大阪芸術大学に決めた。

来歴

2002年(高1)、高校の軽音楽部で結成。バンド名の由来は当時流行っていたガールズバンドであるZONEの名前を逆にしたことと、ボーカルの名字が榎本だったため、「榎本 (ENO)+ズ (Z)」という二重の意味で名付けられた。

しかし音楽性やメンバーの好みとしては、ZONEと人気を二分していたガールズバンドであるWhiteberryや、影響元であるJUDY AND MARY(Whiteberryのプロデューサーである恩田快人がJUDY AND MARYのベーシスト)、またガールズバンドのパイオニアともいえるプリンセス プリンセスの影響が強く、「パンク色が強いが、HR/HM的な演奏も取り入れるガールポップ」といえるものであった。

地元の西宮市にはいわゆるライブハウスが無かったため、(文化祭や新入生歓迎会などの学校主催イベントを除き)神戸・三宮のライブハウスや、西宮市での野外イベントを中心に活動を行う。演奏力の高さやライブパフォーマンスの上手さ、ルックスの良さから地元のバンドの中でも結構な人気があった。

2004年11月(高3)の文化祭(北高祭)にて、榎本が扁桃炎、中西が手首の故障により演奏ができなくなり、急遽近くにいた下級生の涼宮ハルヒとその友人である長門有希がそれぞれ代役として加わり、「God knows…」、「Lost my music」の2曲を演奏する。ぶっつけ本番であったが2人は見事に代役を勤め上げ、涼宮ハルヒにとってはその後の人生に大きな影響を与える出来事となる。

同年12月にENOZは大手のオーディションに応募し、一次の音源審査、二次のライブ審査を通過し最終選考まで残る(このオーディションには前述の涼宮ハルヒ率いるSOS団も応募していたが、一次審査で落ちた)。優勝は逃したものの、そこで音楽業界の人間と知り合った縁が元でメジャーレーベル「Atlas」(元ネタはランティス)と契約することになる。

当時メンバーは高校卒業・進学を控えていたため、「進路が決まってから」と一旦保留。翌2005年3月に全員の進路が決まったため交渉を再開し、2005年7月(大学or専門1年)正式に契約、10月にメジャーデビューする。

2005年4月以降はメンバーの進学先の場所もあり拠点を大阪に移す。とりわけ岡島と財前はお互いの大学が比較的近いので(大阪の南側)、しばしば2人で会って練習したり、(時には中西を交え)互いの大学のバンドサークルへ遊びに行ったりしていた。

メジャーデビューこそしたもののCDは大して売れず、バンドはデビュー前とほとんど変わらない活動を続けることとなる。ただ、所属レーベルがアニメ・ゲーム中心だったこともあり、デビュー後のENOZはそちらのタイアップ楽曲も手掛けるようになる。バンドとしての楽曲提供のほかにも、榎本単独での歌手としての参加、他メンバーの演奏での参加などもしていた。また、これが縁となり、声質を面白がられたことで榎本は声優としても活動の幅を広げていった。

2007年9月、大学に進学していたメンバーが就職活動の時期となり、バンドは今後の活動方針(「就職せず音楽活動に全振りする」、「就職して働きながら音楽活動をする」、「バンドを解散する」のどれを選ぶか)について考える必要に迫られた。バンドとしては全く売れていない状態が続いていた。2008年3月、中西が専門学校を卒業する。

2008年4月(大学4年)になると、進路として音楽に全振りしていた中西や財前もバンド外での音楽の仕事の方が増えていた。榎本も声優業・ボーカル参加の方が軌道に乗り始めていたが生活費を賄えるほどは稼げておらず、かと言って就職活動をする気にもなれないという状態であり、大学の成績も良かったため半ばモラトリアム延長目的で大学院に進むことを決める。岡島は5月に志望企業への内定が決まった。

メンバーと所属事務所のスタッフでの協議を重ねた末、同年9月、2009年3月をもってバンドを解散することが決定。
2009年3月、高校時代の拠点であった神戸のライブハウスでの公演をもって解散する。

その後、岡島は音楽活動からフェードアウト。榎本は大学院進学・修了後に声優・歌手として人気が出始め、後の展開の重要人物となる。財前は作曲・編曲家、スタジオミュージシャンとして活動し、榎本同様、後の展開の重要人物となる。中西はバンドのサポートミュージシャンを中心に活動していたが、腱鞘炎の悪化やジストニアにより解散後程なくして休業を余儀なくされる。

2010年2月24日、涼宮ハルヒをボーカル、長門有希をギターに迎え、ENOZの楽曲を演奏した「Imaginary ENOZ featuring HARUHI」が涼宮ハルヒ名義でリリースされる。新録楽曲のベースやドラムは財前と岡島が担当した(現実の同アルバムは新録3曲と収録済み3曲でベースとドラムの演奏者が異なる。ギターは同じ)。財前はプロデュースやアドバイスを行った他、休業中の中西もレコーディング現場に訪れた。

その後、岡島は事務所を離れ、音楽活動から完全に引退している。

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