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水紋と沈む石

「音声センサが一切反応してないですね、おそらく個々のセンサではなく音声データ処理に関する部品の故障です。修理がよろしいかと」

眉間に精一杯のしわをよせ深刻そうな顔を作り、店の中に作られた半個室ブースの一角、柔らかなソファ席に座る親子の様子を伺う。

「トニーなおる??」

小学校入学前くらいの男の子は眉を思い切り八の字にして僕に訴えてくる。なるほどね、たしかにその表情の方が悲しそうだ。だけど店員にその表情をされると少しうるさいかもしれないな。君だから魅力的な表情なんだろうな。

母親は彼をなだめながら修理の期間と費用を問う。

「そうですね、店頭修理と工場修理が選べまして、店頭の方が早く済む代わりに価格が高めでして......」

わざと男の子の方をちらっと見る。はっとスイッチが入ったように顔を輝かせた。

「トニー早く帰ってくる方がいい!」

母親は静かにするよう彼を諭そうとして諦める。店頭修理の書類にサイン。

「ありがとうございます、修理期間のお見積もりをお持ちしますので少々お待ちください」

書類をまとめて席を立ち、フロアを背にバックヤードへ戻る。背丈ほどに積まれた段ボールや資料の山を半身ですり抜けながらモニタ席に座る。虹彩認証すると自分の名前と階級が表示され、数秒のロードを挟んで今の応対内容が反映された。

モニタをタップしながら症状と推定原因を入力して必要になりそうな部材が倉庫にあるか照会する。今回のモデルは量産型で症状も一般的、大きな外損もないため該当部品の交換だけで済むだろう。

店頭修理対応ありがとうございます、とよく見るメッセージが表示されるのを知っているので表示される前から『了承』のボタンがでてくるあたりを連打する。開発者は感謝の言葉に対しての語彙が少ないようだ。

天井近くの壁にずらっと並んだ監視カメラの映像を見上げると、4つあるソファ席も全て埋まり、さらに入り口側の待合席にも3組ほど待っているお客様がいる。半個室ブースのソファ席はスタッフ一人で一席を担当しなければならないが、待合とブースを合わせたフロア全体でスタッフが4人しかいないのだ。なぜブースが全て埋まっている。待合で案内をするスタッフが1人必要だから、ブースは3つまでしか使えないはず。

モニタ上でデータ送信開始の表示を確認し席を立つ。修理期間の見積もりが出るまで15分ほど。その間にもうひとつブースに入れるな。来店用件はなんだろう。待合の様子も気になる、内容によっては案内を変わったほうが早いかもしれない。

先ほどのブースに戻る。目安時間を伝えると男の子は僕に感謝の言葉を伝えてくれた。笑顔で応じたつもりだったが頭の片隅では次のブースのことを考えている。僕の笑顔も『了承』の二文字も本質は変わらないかもしれない。

優しそうな面倒見のいい母親と、元気いっぱいと男の子と、その隣に座る全長160cmのアンドロイド。虹彩が緑色に光ること以外はほとんど人間と変わらない外見をしている。音声に反応しない故障のため男の子の呼びかけにも応えず、突かれては『どうされましたか』と問いかけ、返事を聞き取れず、また待機モーションに入ってしまう。一礼してブースを出る間際、男の子の声が耳に入った。

「ママ、トニーね、お耳痛いって」

人型のロボットは音声センサを搭載するにあたり耳の形状を模した部品に組み込まねばならない。倫理的配慮の結果らしいが、似せたから破損せずに済んだケースもあれば似せたから破損するケースもある。世の中いろんな悪意が取り揃えられているのだ。そもそも人型ロボットは腹部の前面と腕周辺に最もセンサを多く搭載している。耳でも聞こえるだけで、耳でしか聞こえていないわけではない。

母親はアンドロイドをトニーと呼ばない。この機体をトニーと呼ぶのが世界中で彼だけだとしても、トニーは僕より多く名前を呼ばれている。

この仕事の、こういう瞬間が嫌いだ。営業も事務処理も苦ではないが、執着とか愛着とか、他人の感情を見るのが嫌いだ。それを利用して店舗への利益にすることしか考えられない僕自身が嫌いだ。双方にとって良い選択肢としての提案だと考えられないのは僕自身の未熟さか後ろめたさか。

名前なんて呼ばれたところで単なる音の配列でしかない。そこに過剰な意味を見出すのはあまりに都合が良すぎる。ただ空気が揺れて波が起きただけだ。その波を見て喜んだところで何が満たされるのだろう。

ブースの並ぶ通路で一瞬フリーズしているとインカムから後輩の声。

待合の方を見ると機体を大きく損傷したアンドロイドと動揺した後輩の姿。

急いで駆け寄り持ち主への挨拶もそこそこにアンドロイドの状態を見る。腹部のカバーが完全に割れており中の部品も欠損が見られる。個人情報を保存しているブラックボックスと呼ばれる部品も顔を出していた。

アンドロイドの虹彩が赤く光っている。後頭部を掴み目を合わせると僕の虹彩を読み取り認証した。これで権限による情報保管が可能になる。急いでデータを抜き機体を正常にシャットダウンしなければ、不適切シャットダウンによるロックの解除にかなりの費用がかかってしまう。

手のひらのセンサにコードを入力し、後輩が持ってきた台の上に正座させる。機体はかなりの重量なので倒れると危険なのだ。アンドロイドから漏れた緑色のオイルでスーツが染まり重くなる。こうして僕らは境界が曖昧になっていく。

持ち主には待合席で待ってもらうよう伝えて台を待合席から離れた壁際へ動かし、処置を進める。後輩が持ってきた防水シートを腹部の部品を守るように差し込んでいく。

「先輩、ほんとに処置完璧って感じです。勉強になります」

後輩の少し緊張した声が、小さな水紋を残してすっと胸に落ちてくる。

大した言葉じゃない。名前も呼ばれない。それでもその意味を心の底に積んでいけたら、いつか水面から顔を出して息ができるだろうか。

「そういうのは後でな。絶縁手袋持ってきて」

後輩がなんと返事したかよく聞こえなかった。僕とトニーはさほど変わらない。水もオイルも、言葉も音も。それらに意味を与えるのは勝手ではないだろうか。

処置セットを運んできた後輩に僕は笑顔で『了承』の意を伝えた。
















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こんにちは。幸村です。

久々に下書きに寝かせることなく書きました。

アンドロイドをモノとして扱う人とそうでない人と。

このシリーズも書いていきたいなぁ。




大好きなマイルドカフェオーレを飲みながらnoteを書こうと思います。