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『ふたつの魔女と紅の子』1−1

第一話

“顕現しない愛情の価値を問うのは旅立ちの機"


   1

 彼女が木々の隙間から溢れる陽の光に惹かれてこの地を選んだのだとしたら、結局のところ彼女は自身のことを何もわかっていなかったと言えるだろう。心の奥底では穏やかな温もりを欲していてそのために全てを賭したというのに、薄暗い森を目指す道中と森で少年を隠す日々は彼女の望んでいたものとはかけ離れた生活だった。
 手の届かない人への執着は消せずとも森での日々には充足感があり、彼女は微笑みを絶やさなかったという。





 少年は大きな木に背中を預け、目を閉じていた。遠くに聞こえる鳥たちのさえずり。静かに伝う小川の水音。風が揺らす乾いた木の葉の触れ合い。いつまでも聞いていられる優しい音。目を閉じていても白い光は彼を包んでくれた。この辺りは陽の光が届くためあらゆるものが生き生きとしている。ここは彼にとって安らぎの場だった。


 今日は手伝いで薬草を集めるために薬草畑へ来ていた。普段は家を出ることを許されていない。彼の母は穏やかな人だけれど、彼の身を過剰に心配していて少し窮屈に感じていた。
 木で編んだ両腕で抱えるほどの籠を薬草で満たし、家の外に慣れなかった頃敷いた石の上を歩いて帰る。頻度は高くないとはいえ、いつも通りだと思えるくらいには繰り返してきたことだった。


 陽が傾きはじめる頃には家についた。小さいわけではないはずだが、外観は木々に囲まれていることで、中は本の多さでかなり狭く感じられる。ふたりで暮らす分には困らない程度だった。
 蔓の張った玄関扉を開けると軋む音がする。扉から直結する部屋に母の姿はない。この時間帯なら調理場に居ることが多いのだが、使われていない野菜たちが窓から差す木漏れ日に照らされていた。
 「母さん?」
 気配を探しても、舞う埃の輝きが部屋を満たしているだけでそれ以外に動いているものは何もない。薬草の詰まった籠を少し傾いた木のテーブルに置き、廊下へ向かう。右側の窓から差し込む陽光がぼろぼろの床を白く見せている。廊下から続く部屋はみっつあり、ふたつは左側に、ひとつは突き当たりに面している。左側にある部屋は手前が彼の部屋で、もう片方は彼の母の部屋だ。


 母の部屋の前で足を止める。中から物音はしない。軽く咳はらいをしてから戸を叩いた。
「母さん、帰ったよ。ただいま」
 少し待つが、返事はない。もう一度ノックをして声をかけ、それでも気配がないためゆっくり扉を開いた。
 誰もいない。
 質素な木枠のベッドと小さな机、箪笥と書物。調度品は彼の部屋と同じだが、本は質も量も数倍あった。勝手に部屋に入った罪悪感を抱きながらそっと扉を閉める。


 あとは突き当たりの部屋だ。この部屋には入ってはならないと言いつけられている。興味がないわけではないけれど母を怒らせたいわけでもない。ただ、今なら言い訳がある。胸が高鳴るのを感じた。
 ドアノブに手をかける。他の部屋のそれより重たいのは開閉されることが少ないからか。
 ぐっと力を入れたそのとき、右肩に衝撃が落ちた。


「何しているの」


 ひっと声が漏れ、身体が浮いたのではないかと思うほどに驚いた。振り返ると呆れた表情がこちらを見ている。
 彼女の腰を隠すほどの髪は森での生活で緩く波打ち、頬はこけ目元は窪んでいるけれど瞳には力が宿っており彼はどうしても本気で逆らうことはできなかった。肩に置かれた手もそこから伸びる細い腕も大した力を持っていないことは知っている。それでも彼は母の言いつけを守っていたし、音もなく背後に立つ彼女にはどこか絶対的なところで敵わないと感じていた。
「ごめん、どこにもいないから心配になって」
 彼より少しだけ背の高い彼女の顔を上目遣いで見ると、彼女は頬を緩めた。
「心配したのは私の方よ。帰りが遅いから薬草畑に様子を見に行ったら既にいないし」
 ごめん。もう一度繰り返すと彼女は少年の肩に置いた手を頬に添わせた。少年はくすぐったそうに目を細める。
「怪我はない?苦しいところは?きちんと元気?」


 細くて白い指が唇をなぞり、口角をぐっと抑える。少年は彼女の意のままに口を開き、舌を出した。小さな赤い舌を生気のない白い指が優しく掴む。彼女は満足してもう一度彼の頬を撫でた。
「うん、元気ね。私は部屋で少し休んでいるから、夕食の準備を頼んでもいいかしら」
「わかった。準備ができたら呼ぶね」
 黒いローブに身を包んだ彼女が部屋へ戻るのを見届けて、少年は無意識に口元を手で拭った。彼女は毎日数度、彼の口を開かせて健康状態の確認をする。普段穏やかな彼の母もこのときはどこか張り詰めた様子で、そして口の中を見て安心した表情になるのだった。


 母はよほど僕を大切に思い心配してくれているのだろう、と彼は考えていた。母が安心するのならこれくらい容易いことだし、心配させないようにしっかりしなければ、とも。
 以前似た状況で突き当たりの部屋に入り本を数冊借りているなんて、口が裂けても言えなかった。その本の中身を読んでしまったことを言い出せないまま、彼は本を戻す機会を探っていた。












***

こんばんは、幸村です!

シリーズとして書き始めました。今までのとは少し設定が違いますが、こつこつ書いていこうと思います。iPadのアプリで書いてコピペしているのでスマホで読みやすいように改行を増やしています。いろいろ試してみますね。

そんなに長くはならないと思います、よろしくお願いします!



今までの仮設定でのお話はこちら。

三話が一番お気に入りです!

一話


二話


三話

四話






大好きなマイルドカフェオーレを飲みながらnoteを書こうと思います。