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ソネソンジャプコ

忘れもしない修学旅行、皆さんは小中高などどこへ行かれたであろうか?

私たちの県は、どこの学校も大抵同じ場所だった。小学校は大分の別府、中学校は京阪神、高校は…学校によって行き先は随分変わるのだが、周囲の高校は東京が多かった気がする。田舎の学校は都会へ、都会の学校は田舎へ、お決まりのパターンだ。

だが、私たちの高校は新設校であり、英語に力を入れている高校でもあった。それを生かすため、公立高校では珍しい海外が修学旅行先であった。シンガポールやハワイ?そんなリゾート地ではない。


最も近く、東京へ行くより遥かに安く長く滞在できる隣国、韓国であった。周囲は東京方面へ行く高校が多いので不満を漏らす者も居たが、東京なんて大人になっても用があればすぐ行ける。
韓国のソウルにある女子校と“姉妹校″という形で提携し、その高校へ訪問して“国際交流″をはかる事も目的であり、釜山・ソウルへ4泊5日のスケジュールであった。

近いし安いし、海外旅行へ行く者も初めての者が多く、お手軽に行ける韓国である。
最寄りの国際空港から釜山までは、何と飛行機で40分で着いてしまう。
同じ予算なら、東京なら2泊3日で終わるのだ、新幹線もホテルも東京へ行く方が遥かに高くつく。それなら“国際感覚を養う″という名目で4泊5日もできる韓国になったのであろう。
今から約27年前の韓国である、4泊5日で7万5千円!格安で海外旅行を味わえる。

当時は、有名私立高校(お坊ちゃんやお嬢さまが行くほうの私立)でもない限り、修学旅行にたとえ近くでも海外へ行くというのは斬新な発想であった。

私や周りの友だちも、初めての海外旅行が韓国になる者が非常に多く居た。パスポートを取る段階からワクワクする。


高2の夏休み、短期留学でカナダにホームステイする者も居たが、それはある程度英語を話す事ができ、それらの旅費を全て捻出する事のできる、ごく限られた家庭の生徒たちであった。主にE組の英語科の人たちの中に多く居た。
そういえば、E組の英語科にはオーストラリアや諸外国から数名であるが留学生が来ていた。卒業アルバムにはE組の英語科に外国籍の留学生が数人載っている。


何度も言うが、田舎の普通の公立高校である。
当時海外旅行や短期留学でも海外へ行くということは、お父さんがよっぽど大きな会社に勤めて余裕あるがある家庭か、目がひらけた一部の家庭でない限り、田舎の学校で海外旅行をした事がある者の方が圧倒的に少なかった。



私たちはお隣りの韓国へ行くのもドキドキワクワクである。韓国へ行くまでの数ヶ月間、何度も特別な授業があり、韓国での過ごし方や韓国語での挨拶、歴史的背景を勉強した。

その当時の韓国は今のような韓国ではない。
ソウルのど真ん中の一部のエリアだけが観光地化されており、K POPアイドルもいなければ韓国コスメもない。まだまだ韓国が発展途中の頃の話だ。

当時の韓国では日本語を話す事ができる人が多く居た。特に年配者は日本語がほぼ分かる。韓国で過ごす間、使うべきでない言葉や言い回しもひと通り勉強した。

また我が校と“姉妹校″として提携していた女子校へ行く際、日本からお菓子を持って行って皆でシェアして食べるというイベントもあった。会話は全て英会話である。
それぞれがポテトチップスや思いおもいのお菓子をバックに詰めて、旅行のしおりを持って、“写ルンです″というインスタントカメラを持ち、小遣いは1人当たり15,000円が上限であった。

タバコをどうしようか迷ったが、空港で引っかかって出国できなかったり、万が一バレて修学旅行に行けなくなるのは嫌なので諦めた。後で聞くと、一部の男子はコッソリタバコを持って行き、現地で韓国タバコを調達して吸っていたらしい。うまいことをするもんだ。

小遣いは上限15,000円であったが守る者の方が少ない。
私は東京の叔母から免税店でクリスチャンディオールのアイシャドウの何番を買ってきてほしいとか品番つきで頼まれていたので、小遣いも多めにもらい3、4万円は隠し持っていた。
男子らは4泊5日、毎晩死ぬほど焼肉が食べれる事を喜び、女子は免税店でブランドコスメが安く買える事を楽しみにしていた。

何と私たちが韓国へ出発する3日前に、北朝鮮から工作員が釜山の山に潜伏しているというニュースが飛び込み、事なきを得たのだが、これが1日ズレていたら安全面から修学旅行が中止になるところであった。

大韓航空機で、飛行機に乗るのが初めての私は飛行機が怖くて仕方がなかった。
担任のおぐちゃんの隣にわざわざ席を変わってもらい、離陸の際、おぐちゃんの手を力いっぱい握りしめて1人で大泣きしてしまった。
そもそも飛行機自体が怖く、あんなものが空を飛ぶということがどうしても理解できず、過去に起きた日航機墜落事故や中華航空機事故など、飛行機事故の知識だけが頭の中にあり、離陸するときそれらを思い出しては泣くのだ。
Gがかかるのもダメだった。大きなエンジン音とGで離陸する時、おぐちゃんの手を握りしめながら、1人大絶叫してしまった。上空で少しでも揺れると『おちる!』と身を固め、周囲の友人たちは私を見て大笑いした。
よくこんなノミの心臓で“将来は自衛隊に入りたい″と言っていたものだ…と恥ずかしくなるくらい、飛行機恐怖症なのである。

現在も飛行機恐怖症で、仕方なく乗る時は離陸する際毎回断腸の思いである。

一旦上空に上がると、初めての機内食とやらが出てきた。行き先は韓国なので、初めての韓国料理とよくわからない味のお菓子が出てきて、味見をしていたらすぐに着陸体制に入るアナウンスが鳴り、あまりおいしくない機内食はすぐに下げられた。
飛行機が無事着陸し、一歩降りたらもうそこは異国の地であった。

まずは釜山をぐるぐるまわり、予想より遥かに綺麗なホテルで安心した。男子は4階貸し切り、女子は3階貸し切りであった。

翌日は鉄道で長い時間をかけてソウルまで行った。韓国は寒いと聞いていたが、本当に寒くてビックリした。日本よりおよそ1ヶ月先の気候で大変乾燥している。耳が凍りそうだった。



ソウルの提携していた姉妹校に到着した。
韓国ではその当時、男女共学という高校がなかった。私たちが訪れた高校は女子校で、400人くらいの韓国女子が私たちを出迎えてくれた。会話は勿論全て英会話である。

更に驚いた事に、我々の高校より遥かに頭の良い女子校である事がすぐに分かった。皆、流暢な英語を喋る、発音がとても綺麗だ。英会話が普段から身についている証拠だ。韓国の英語教育は日本より遥かに早いと噂で聞いていたが、その通りだった。
こちらは彼女たちが話す流暢な英会話をリスニングするのでいっぱいいっぱいであった。姉妹校とは名ばかりで、英語の偏差値が10くらい違うような気がした。

4人ずつのグループに分かれて、日本から持ってきたお菓子と韓国の女子高生たちが用意していた韓国のお菓子を広げ、英会話でお喋りしながらのおやつタイムが1番楽しかった。
正直な話、韓国のお菓子はどれもおいしくなく非常に残念であったが、皆が用意してくれていたので交換して食べた。日本から持って行ったポテトチップスやポッキー、基本的にスーパーで売っているようなお菓子を出したのだが、韓国の女子高生たちは美味しい美味しいと大喜びしたくさん食べてくれた。お菓子がおいしくないなんて…何だか切なくなって持っていたガムやら飴やら、彼女たちに全部あげた。もっと持って行けばよかった…と後で皆で話した。


彼女たちの髪型が皆同じな事にも気づいた。校則で厳しく決まっているらしい。眉毛も誰もいじってない、化粧なんで誰ひとりしていなかった。普段日本で校則が厳し〜めんどくせーなどグチグチ言っている自分たちを恥ずかしく思った。


同時にところどころで面白い現象が起きていた。

普段、校内で目立たない大人しい男子の周りに韓国の女子高生が輪になってキャーキャー言っているではないか!
そう、お国が違えば好みのタイプもまるで違うのである。普段は大人しく目立たない男子が韓国の女子高生たちに囲まれて、何やら英会話で色々話したり写真を撮ったりモテモテ状態になっている。男子もまんざらではなさそうだ、ニヤニヤ笑って皆と写真を撮って楽しそうだ。


韓国は男女共学ではない、思春期の男女が皆引き離されて学校生活をしている、異性に関心がある年頃なのは国が違っても皆同じである。
どうやら同い年くらいの男子と口をきくこと自体が彼女たちにとっては一大イベントであり、毎年我が校から姉妹校訪問というイベントで皆が訪れる事を楽しみにしていると話していた。
男子とのおしゃべりに夢中になっている。それを見るのもまた微笑ましく、どうせなら半分くらい彼女たちの女子校に置いて帰りたいくらいの気持ちになった。男女交際は禁止だとも話していた。
国が違えば文化も考え方も規則も何もかも違うんだ。


楽しい国際交流の時間はあっという間に過ぎ、日本で散々練習していった“ソネソンジャプコ″という韓国語の歌を皆で歌った。ソネソンジャプコとは、手に手を取って…というような意味の歌だった。
韓国の女子高生とこちらの生徒が1人ずつ交互にたち、輪になって肩を組んで歌った。
“ソネソンジャプコ″は今でも高校時代の友人と会うとカラオケで探して歌ったりする、懐かしい曲だ。


その晩からソウルのとても綺麗なホテルに滞在した。ソウルの中でも高級ホテルだったのだろう。夜に2時間だけ“自由時間″が設けられ、友だち同士であちこちソウルの繁華街を散策した。ある一定のところまで行くと、我が校の教員が門番のように立っている。
ここから先はダメ、リターンの合図だ。東西南北どちらに歩いて行ってもある一定の場所まで辿り着くと我が校の教員が立っていた。その決められた四角いエリアだけの自由行動であった。

私はみっきーたちと行動を共にし、せっかく韓国に来たんだから韓国の物を買おう!と夜店を見てまわり、『オイデオイデ〜、ヤスイヨー』と手招きをする韓国人の中年女性がやっている夜店を見た。特に欲しいものもなかったが、これは韓国のおもちゃだと言われ、日本円にして500円くらいの物を買ってホテルに帰って皆で開けてみた。なんと、ただの水鉄砲でmade in CHAINAと書かれているではないか!やられた!と思ったが仕方ない。
ソウル市内の繁華街に居た中高年の人たちは、本当に日本語がペラペラであった。こちらが話している事も筒抜けである。事前に学習していた事の意味が分かった。

次第に食欲が消えた。
何せ毎晩韓国式焼肉、昼はビビンバ、朝だけがビュッフェ形式で私はお粥とフルーツばかり食べた。
男子は肉が食べ放題なのでそれはそれは喜んでいた、韓国式焼肉を食べる際、鉄でできた箸で何度も唇や舌を火傷した。

韓国の観光地を色々まわり、現地の子どもたちとも触れ合った。国籍は違っても子どもは子どもだ、近寄るとどことなくキムチのにおいがした。

最終日、ロッテ免税店でのお買い物タイムがやってきた。ここでしこたま香水やら化粧品やら買って、皆ブランドコスメデビューするのがお決まりだった。
私は1番先に叔母に頼まれていたディオールのアイシャドウパレットを約4.600円ほどで購入し、母と祖母にはシャネルの口紅を購入した。当時シャネルの口紅が免税価格で1本およそ2,700円くらいだった。日本国内に比べたら安いもんだ。お小遣いをたんまりもらっていたのでケチケチするわけにはいかない。
佳子ちゃんのお土産は何にしようか考えたが、佳子ちゃんはお化粧しない。免税店の中で1番可愛くみえるレスポのポーチを選んだ。祖父は仕事で韓国に何度も行っていたので何もいらないと言われていたが、とりあえずハンカチなどの小物にした。
キムチはいらないと言われていたのと、韓国のお菓子があまり美味しくなかったので、食べ物は韓国のりだけ。


残りは自分のコスメに全額ベットだ。
コスメもだが、とても気になる時計を見つけた。それまではシャークというサーフブランドの時計をしていた(当時雑誌Fineに載っていた)。
金属製のベルトでどこの時計か忘れたが、免税価格で11,000円くらいだったのでそれを購入し、ポロスポーツのユニセックスな香りとカルバンクラインから出ていたESCAPEという香水をまとめて購入した。ESCAPEというネーミングも気に入った。
それからシャネルのマニキュア、ファンデーションなど…予算の上限など誰も守っていなかったように思う。先生たちも見て見ぬフリだ。

修学旅行から帰ると、高校がやたら香水くさくなるのがお決まりだった。皆免税店で香水を買い、普段は大人しい男子も香水デビューするのだ。CKワンとかCK-b、女子はプチサンボンあたりが流行っていた。 


女子がブランドコスメデビューするのも修学旅行後からだ。
私とウッチーはお揃いでシャネルのファンデーションを購入した。シャネルのココマークが入ったコンパクトを持つ、というところにステータスを感じる年頃なのだ。

そういえばフケ頭みっきーは何かコスメを購入したのだろうか…私のあとをついてきていたが、何か買っていたのを見なかった。
本当に化粧っ気のない、無機質な女だ。

またロッテ免税店での楽しみは、日本国内から来ている“都会の高校から来ているイケてる男子高生″を見るのが楽しみのひとつである。ギャルなユキちゃんらもキャーキャー騒いでいた。

日本から韓国に修学旅行に行くと、最後はどの学校もロッテ免税店に行くのが定番である。
普段は見ることのない、田舎には居ないタイプの高校生もわんさかいる。
スーパー男子高生という言葉が流行っていたが、それは東京都内のごく限られた一部のイケてる男子高生らの事だ。
私が夏休みに行った叔母のいる池袋や、リエちゃんらと行った渋谷•原宿にいるようなタイプの高校生が修学旅行で来ている。

ウッチーは他校にカッコいい彼氏が居たが、とても束縛が激しかった。でも韓国では彼氏も居ない、2人で男子高生を物色し、勇気を出して話しかけてみた。

『どこから来てるの?』と私が話しかける。

『え?都内だよ!自分らは?』

『田舎だよ〜、どこに泊まってるの?』

『あ、俺らロッテホテル!』

ウッチーと顔を見合わせた。綺麗な標準語。
こんがり日焼けしていて濃いめの茶髪にロン毛、めちゃくちゃカッコいい!
やっぱ想像通り都内の男子高生だ! 

でも待てよ…都内から韓国、ロッテホテルに泊まってる…絶対、私立の自由な校風の高校だろう…彼らは都内のリエちゃんたちが通うような、有名私立のお坊ちゃん校なんだろう。日焼けしていて茶髪にロン毛だけれど、どことなく余裕さを感じる、ヤンキーじゃない、髪型も制服の着崩し方も何もかもオシャレだった。

『じゃあね〜!』と手を振り、彼らは仲間と思われる同じ制服を着た男子高生と奥の方に消えて行った…。

『ヤバい、マジでカッコいいわ〜!』ウッチーと目を輝かせて盛り上がっていると、ギャルなユキちゃんらも私らの様子を見ていたようで話しかけてきた。

『ハッシー、今話してた人ら、自分から話しかけたの?すごいね!てかカッコいいなーってウチらも見てたんだよ〜!』

皆思う事は同じだ。
たとえ、同じ学校内に彼氏が居たとしても、一歩外へ出て都会の男子高生なんかを見た日には、自分たちの彼氏の事なんて忘れて目をキラキラさせてキャーキャー騒いでいる。
私がリエちゃん、マキちゃんのあとをついて渋谷へ行き、渋谷に居る“ホンモノの女子高生″を見た時と同じ反応をしていた。 

私も大好きなTのこと、そっちのけで都内から来ていた垢抜けた男子高生を目で追っていた。

そういうのも含めて、修学旅行は楽しい。

男子は男子で…一切見ていなかった。ただ韓国の女子高生から意外にモテモテだった普段大人しめの男子は、修学旅行から帰ってきてもしばらくの間浮き足だった様子だった。


不思議なことに修学旅行から帰ると、あれだけニキビで悩まされていた顔のニキビが枯れている。他にも同じ現象の同級生が居てビックリした。
やっぱり空気が乾燥してるからなのかな…

もう一つ驚いた事は、私が購入した腕時計の液晶画面はピンクだったのだが、Tも全く同じ時計の液晶画面がブルーの方を購入していたことを後で知った。
やった!知らず知らずの間でお揃いだ!


そんなわけで4泊5日の修学旅行は終わりを告げた。


私のコスメポーチの中は、主にマリークワント、THE BODY SHOPのものに新しくシャネルやディオールが加わった。アイブロウやマスカラはドラッグストアに売っているメイビリンやレブロンの物を愛用した。 
東京の叔母に習ってビューラーは資生堂のもの、鏡は大きい長方形の物とマリークワントのダブル持ち。
この頃になると、オシャレな男子の中には油取り紙を持ち歩く者もいた。美意識の高いオシャレな男子の一部だ。

通学カバンの中は相変わらず化粧品一式とタバコ、ウォークマンとお財布、プリクラ帳にルーズソックスをとめるソックタッチも忘れずに、だ。

太っていて話にならないが、それなりに“女子高生″を謳歌した。

修学旅行から帰ってしばらく経ち、英語科の担任に例の姉妹校の事を尋ねてみた。彼女たちの英語力がどうしても気になっていた。
英語科の担任はニヤけながら『そうだよ、あの姉妹校偏差値70くらいあるよ』と言われた。
あ〜!やっぱね!!偏差値が10違うどころじゃない、格上だ。よく格下のウチの高校なんかと“姉妹校“提携してくれたもんだ…彼女たちは秀才の集まりだったんだ…

今現在でもその高校が姉妹校として継続関係にあるのか今度聞いてみよう。
私の母校は残念な事に、少子化の影響で年々人数が減り、偏差値も下がってきていると地元にいる友だちから聞いた。
何とも言えない気持ちになる。







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