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ソプラノ歌手の先生〜優雅なお手洗い

夏休み前、さて来年受験する音大はどこにしようか?本格的に母と考えだした。

まず大前提として東京の音大の四年制にはやれない、学費から生活費まで全てが高すぎる、祖父も多少は援助してくれると思うが、基本母子家庭なので無理、却下。
東京なら音大に併設されている短大2年、地方なら四年制も射程圏内に入ってくる。国公立は数学が足を引っ張っているのでハナからムリ。
(これは自業自得である)

地元のK先生は、自分の出身大学を推していた。その音大になら“ツテ″がある、隣の県だしレッスンも通いやすいだろう、そんな感じだった。
しかしひとつだけ気になる事があった。母の信仰していた宗教の影響で、宗教色が全面に出された学校に抵抗があった。クリスチャンでもないのに、毎週ミサに参加するのは嫌だった、大学内にシスターたちがゾロゾロ歩いているのも何だか抵抗があった。アーメンと思わなくてもアーメンと言わなければ単位が取れない授業があるという事に抵抗を感じていた。何より学費が高い。

母は“日本の音楽大学の全てが載っている赤本″みたいな分厚い本を購入し、2人で色々調べた。

学費が安めのところ…音大といってもピンキリである。
ちょっとピアノが弾ければ誰でも入れるような、音楽科だけがポツンとある短大から、東京にある誰もが知る超難関の音大まで、入学金から学費、教授、教職員、定員まで全て載っている。

ちょうど母の同級生で、東京に同窓会へ行くたびに会っていた“リエママ″のお姉さまが、東京の一流どころの音大声楽科の教授であり、現役のソプラノ歌手でもあった。

リエママとソプラノのお姉さま、父上母上とは不思議な縁あり、母が中学生の頃まで私の地元に住んでいた。
私の祖母もリエママ一家を尊敬しており、母や叔母がリエママの家に遊びに行くと、いつも母上が着物を着ており、遊びに来た友人全員にお抹茶をたて、お茶菓子を出してもてなしてくれたといつも聞いていた。昭和30年代の話である。

その後父上の転勤で都心に戻り、母とリエママは大学で再会し、学部は違ったが、またそこからの長い付き合いが始まった。

リエママに“娘の進学についてソプラノ歌手のお姉さまに相談したい事がある″と電話で話しているのを聞いた。

早速返事をもらい、夏休みに入ってすぐ、母に連れられて夜行列車で東京へ行った。寝台特急に乗り、翌朝上野に着き、すぐ母は『東京藝術大学を拝んでこよう!』と私を引き連れ、音大を目指す者なら誰でも一度は憧れる東京藝術大学へと向かった。一般の大学で言うところの『東大の赤門をくぐってみよう』みたいなノリだ。


東京藝術大学はとても歴史を感じさせる建物で、多くの音楽家や演奏家を排出してきた日本一の藝術大学だけあり、その風格は今でも忘れられない。
あのソプラノ歌手のお姉さまも、藝大と院、共に首席卒業でヨーロッパに渡っていた。

土地勘がない私は、母の後をひたすらついて回り、色んな銅像や門の前で写真を撮った。

その時の写真を見ると、チグハグなコーディネートに不満げな顔の私が写っている。 

母が買ってくるダサい服なんか着たくない!と反抗していた。ギャル服は細すぎて入らないし買ってもらえない。
普段は古着を中心としたトップスにボロボロのGパンやチノパンの裾を引きずって歩く、スニーカーはナイキのデッドストックを集めてストリート系をいく(エアマックス95はもちろん買ってもらえなかったのでNIKEのデッドストックに走った)、もしくはジュディマリのYUKIに憧れて“何ちゃってロリータ系″の服を工夫して着ていた私だが、この時ばかりは“キチンとした洋服″で先生のお宅に訪問するのが礼儀である。母が用意したミドル丈の何とも言えないチェックのスカートに赤のメリージェーンを合わせた。


お昼過ぎにリエママと3人で待ち合わせをし、リエママのお姉さまが住むマンションへと向かった。
ついた先は私が想像していたマンションと大きく違った。

都内一等地に建つ低層マンションなのだが、“これまでテレビでも見た事のないような豪華なマンション″に圧倒された。
ホテルみたいな広いエントランスは全て大理石でできており、コンシェルジュという執事みたいな人がいる。田舎では見た事も聞いた事もない、贅を尽くしたマンションに、ソプラノ歌手のお姉さまと、その母上が暮らしていた。

ソプラノ歌手のお姉さまと母上は、リエママと私たち2人を部屋に招き入れ、『まぁお久しぶりね、レナちゃんも大きくなって…』など挨拶もそこそこに、大きなソファに座るよう言われた。とても素敵な茶器に紅茶とケーキを出してもてなしてくれた。
『近所にね、最近美味しいケーキ屋さんができて、とても気に入っているの。お口に合うかしら?よかったらおひとつどうぞ』と箱の中を見せてもらった。
宝石みたいな美しいケーキの中から、私は正方形のチョコレートケーキを選んだ。
絶品、こんなに美味しいケーキがあるのか。


インテリアは、目白の椿山荘を彷彿させるような内装で統一されており、私はソファに何かこぼしてはいけないと、そればかり気になった。

ソプラノ歌手のお姉さまを中心に私の母と4人で昔話をして談笑している。

私は部屋の隅っこにひっそりと置かれた茶色い木目調の猫足のピアノが気になって仕方がない。

ケーキを食べ終えたところで、ソプラノ歌手のお姉さまが『レナさん、何か弾いてみて、何の曲でも良いわよ』と言い、一堂シーンとなった。
私は手を洗い、茶色い猫足のピアノへ近づく。
ピアノのメーカーが見慣れたYAMAHAでもカワイでもスタインウェイでもなかった。

緊張する…とりあえず習っていたバッハのインヴェンションとベートーヴェンソナタの何番か忘れたが、2曲続けて暗譜で弾いた。
コンクールより遥かに緊張した。

『レナさん、よく弾けていらっしゃるわね、私の知り合いで地方の音大になりますが、とても熱心で優しいピアノ科の男性教授がいますので、その方でよろしければ是非ご紹介しましょう』と言われた。

母は大喜びで、その地方の音大の教授を紹介してもらう段取りを早速話し始めていた。


緊張がとけた私は
『あの…お手洗いお借りしたいんですが…』

リエママがサッと立ち上がり、レナさんこちらよ、と案内してくれた。


アレ?ココってお手洗いなの?…なんとお手洗いの部屋だけで六畳くらいあった。私の部屋より広い!


用を足すだけなのに、周りに置いてあるものが気になって仕方ない。



見事な百合が美しく咲き乱れ、ヴィーナスの彫刻があり、燭台のランプが蛍光灯の代わりにぼんやりと暖かい光を放っていた。
洗面台も床も全て大理石でできている。フカフカのマットにお揃いのスリッパ。


“お弟子さん″たちや来客が多いからなのか、長年ドイツやイタリアに住まれていたからなのか、お金持ちだからなのか、当時の私には分からなかった…。
手を洗う石鹸(ソープと言うべだろう)ひとつとっても、美しい琥珀色の貝殻の形をしており、そのソープを使っていいのかまず迷った。
ソープディッシュも舶来品のものだろう。
他にも何種類か液体のハンドソープのミニボトルが置かれていたが、何語か読めなかった。どれも異国の香りがした。

同じくトイレに使うハンドタオルにはもったいないくらいの、美しいレースが施されたお揃いのハンドタオルが一枚ずつ綺麗に折られ、15枚ほど品の良いゆりかごのような物の中に備えてある。
洗面台に備えつけられたとても大きな鏡はピカピカで、また別の角度から間接照明のランプが灯されている。

何よりも、お手洗いなのにどこからともなく非常に良い香りがする!




家にある牛乳石鹸、トレー、キツい香りの芳香剤がどこにも見当たらない。




『ここはトイレがたまたまある部屋だ!お手洗い自体がもう芸術作品なんだ!毎日ピカピカに掃除するからこの空間に住みたい!!』

今から約28年前くらいの話である。

今はタワマンや高級マンションがあっちこっちに建ち、そのような家もあるにはある。
当時の日本では、都心の一等地のごく限られた人しか住むことが許されないであろう超高級マンションである事くらいは、田舎の高校生の私でも分かった。


私は“お手洗い見学″に没頭し、10分以上もお手洗いの中に籠っていた。なんて世界だ…。


リエママやソプラノのお姉さまが私を心配して、『レナさん、どこかお具合でも悪いの?大丈夫?』と声をかけられたが、『お手洗いがあまりにも綺麗でうっとりしてました!』と返事をすると、皆あらまぁといった感じで上品に笑っていた。
母もリエママたちの前では“よそ行き″の振る舞いだ、機嫌がすこぶる良い。


生まれて初めてみた、部屋よりも広く美しい芸術作品のようなトイレ…。

後の人生であらゆるホテル、あらゆるお宅やマンションにお邪魔し、お手洗いも借りたが、そのソプラノ歌手の先生の家ほど、全ての調度品が美しく統一され、あんなに優雅なお手洗いを見たのは後にも先にもない。

ソプラノのお姉さまや母上は、毎日このお手洗いで用を足せるのだろうか?…と口には出せないが不思議に思った。

私は窓ぎわの日の当たるソファに戻り、ぼんやりと猫足の茶色いピアノを眺めながら考えた。

『音大の教授やソプラノ歌手の人ってみんなこんな暮らしをしているの?それともリエママのお家の人が特別なのかなぁ?このお部屋は誰が掃除するんだろう…こんな昼下がりに、母の昔の同級生というだけで、皆でこんなにも親切にもてなしてくれるなんて…東京の上流階級の人たちって皆こんな感じなのかなぁ?』

こんな親戚を持つリエちゃんは幸せだなぁ…

リエママの娘のリエちゃんは、私と同い年で久しく会ってないが、毎月の文通は続いていた。

そういえばリエちゃんのお父さんもまだ一度も見た事がない、ソプラノ歌手のお姉さまの母上がいつもステージママをしている。
リエママやソプラノ歌手のお姉さまのお父さんってどんな人なんだろう…全く想像がつかない。



池袋に住む叔母が、よくこんな事を言っていた。


『田舎のお金持ちと東京のお金持ちってね、本当に何もかもがケタ違いなのよ…叔母ちゃんも大学で東京に出て来た時はビックリしたものよ。でもね、それは仕方がないことなの。生まれも育ちも違う。特にね、リエちゃんところのお家なんて家柄が違うのよ、だから羨ましいとか比較しちゃだめよ、あそこは特別、別世界なのよ』


そうだな、叔母がそんな事を言っていたのはこういう事だったのか…。


羨ましいとかそういう感覚ではなく、ただひたすらビックリしたのだ。

リエママやソプラノ歌手のお姉さま、母上たちの自然な立ち居振る舞い、言葉のつかいかた、私たち親子に対するもてなし方、優雅さ、何より滲み出る品の良さ、圧巻だった。





よくテレビに芸能人のスゴいお宅紹介〜!みたいなのを見た事はあったが、そういった類いのものとは、また種類が違った。



夏休み中という事もあり、私はそのまま池袋の叔母の家に10日間ほど預けられ、自由を謳歌した。母は仕事があるので先に地元に帰った。




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