grapefruit moon
月に一度の満月の日には必ず月を見るようにしている。そして必ず聴きたくなる歌がある。その歌とはTOMOOの「grapefruit moon」である。曲調といい、歌い出しの「やけに喉が渇いてからがら家を出た」というすごくエモーショナルで日常的な情景が浮かぶこの歌詞が好きなのである。秋や晩夏などの夜にぜひ聴いてみてほしい。すごくぴったりな歌だ。
今回私が書きたいのはそんな曲紹介ではない。最近もなんの気なしに「grapefruit moon」を聴いていた時のことだ。私はある一節に心を奪われた。その一説についてずっと考えている日もあるほど、比喩ではなく文字通り心を奪われ、囚われたのである。その一説というのが
「もう苦いもの食べられると気がついた頃に思うそれはさ、豊かさ?鈍さか?なんてね」というものである。
皆も小さい頃は食べられなかったが気づけば食べられるようになったものなどあるのではないだろうか。私は自分が大人になったから食べられるようになったという単純なものだけではなく、小さい頃がMAXなものであったが大人になるにつれて徐々に感性などが薄れていった結果として食べられるようになった。という視点の提示である。これは食べ物についてだけではないと思う。
私が例を一つ挙げるとするならば「希望」である。これはどういうことなのか。幼い頃には何事にも時間の投資をすることができ、将来に対してどんな希望をも持つことができた。例えば「サッカー選手になりたい」や「会社の社長になって大金持ちになりたい」などだ。しかし、時間を重ねるにつれて(歳を取るのにつれて)その希望とはかけ離れた自分の立ち位置という現実を突きつけられ、希望を持たなくなる。乃至は身の丈に合った職に就くなどだ。
今、就活中の自分や周りの人に問いたい。今の自分が就こうとしている職は小さい頃になりたかったものですか?
一つ言って言っておかなくてはならないのが、私は現在なろうとしているものが小さい頃とは違うからといって悪いと否定するわけではない。小さい頃の無知な自分から、時間をかけて多くのものを学んでいき結果として見つけた選択肢であるのだから他人である私が否定していいはずがない。
では私がここで何が言いたいのか、それは大人になるということは必ずしも良いことではないのではないかということだ。社会においては上司や大人に従わなければならないことは多くあるだろう。ただ、その大人たちの考えに染まりきらない自分でいてほしい。身近な人の童心を現実的でない、大人になれよと頭ごなしに言わないでほしい。大人になったからこそ童心を忘れずに。大人になったからこそ鈍くなっているものがあるかもしれない。
私は満月のたびにそのピンクの実をした満月のような果実に思いを馳せながらまたその一節を口ずさむのだろう