約8000日

タイトルの数字を見てピンと来た人はいるだろうか。ピンと来た人は同世代なのかもしれない。この約8000日というのは22年間の日数だ。正しくは
約8030日となるのだが(ここでも約とつけているのは閏日があるためどこから22年かによって誤差が生じるため)、私は次の誕生日で22歳となる。そこでこの生きてきた約8000日で感じたこと、考えたこと、私のモットーについて綴りたい。
まず私が生きてきて考えてきたことは他者との関りと線引きだ。この世界に生まれ落ちた以上、誰ともかかわらずに生きていくことはできない。常に周りの誰かに支えられているのだ。特に私に関して言えば親は当たり前のように不自由なくここまで私を育ててくれた。そのような温室育ちの私は文字通り親に生かさせてもらっていたのだ。多くの人が親でないにしろこのような関りがあるのではないのだろうか。
一方で私も親との間に線引きをしている。そのような線引きは自分が1人の個人であるからこそ誰しもが必ずしているだろう。親であったとしても生まれた場所も育った環境も時代も考え方も何もかもが違う他者である。しかし、ここで重要なのは線引きをどの程度するのか、もっとわかりやすく言うとどれほどその人に対して心を開いてまた閉じているのかということである。親など信頼できる人に対しては8割方心を開いているだろうし、友人であれば5割などかもしれない。
私は傷つきたくないから心は半分閉じているようにしているのかもしれない。要は他者に対する過度な期待をしないということだ。他者に期待すると期待を裏切られると勝手につらくなるし、腹が立ってしまう。だから私は極力他者に期待をしないし心を開ききらない。要は自己防衛である。畢竟他者とかかわりの中で生きていくとは、信頼ができると感じるたびに心の余白に色を付けていく作業なのである。そうしてその人と関わり続ける限りその作品を描き続け、いろんな作品を創っていくということが他者と関わりながら生きていくということの意義なのではないかと私は考えている。

そのような考えの中で私の人生におけるモットーとは自分にとっての100点満点の走馬灯を創るということだ。
これは礼賛というバンドの『オーバーキル』という曲の歌詞「走馬灯100点満点もう欠点なし」というものから拝借しているものである。多くの心の余白を埋め走馬灯として完成した他者とのかかわり(思い出)をたくさん眺めることのできるような生き方をしたいということだ。
つまりわたしにとって生きることというのは生まれてから寿命というに向かっていくという日々の引き算ではなく、作品をいかに多く完成させ増やしていくのかという足し算なのだ。
いくつの作品が最期にみることができるのか非常に今から楽しみであるが、現在のままでは全然満足できないのでまだまだ長生きできるように日々大切にしていきたい。


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