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あと5日

いまココで一緒に暮らしている犬「リッツ」は私の連れ子である。名前は世界で愛されるリッツからいただいている。息子が中学を卒業する年に長野県の保健所で生まれ、すでに老犬である。散歩の距離もどんどん短くなって家の周りどころか家の前でUターンすることが多くなったのに今朝は健脚であった。

ココは半島なので家の北に太平洋、南が湾になっている。歩いていける湾を私達はホームと呼び、太平洋側をアウェイと呼んでいた。定番のお散歩コースだったホームも久しぶりだった。もしかしたら今日が最後かなと思いながら朝日を眺めた。

不燃物/ガラス+陶器

明日が最後の不燃物の日だ!前日のお昼過ぎからゴミステーションに搬入できる有り難さ。お鍋やらお皿、コンロにポット、台所周りはなんでこんなに不燃物ばかりなんだ。4日間食べるのに必要最低限のモノは何だろう。

そもそも私が持ち帰るものを決めないと捨てるものが決まらない。まず荷造りをしようと段ボール箱を組み立てていると声がする。機械類の処分を頼んだ業者さんだった。彼の弟さんから来週と聞いていたので昨日来るものだと思っていたのだが、来なかったので明日だと思っていた。まさか祭日に来るとは。ここを立ち退くまでの費用は遺族持ちなので手配もお任せしているので小さなすれ違いは起きてしまう。

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ものの1時間で運び出された....。すでに残骸の風貌すら漂っている。

創業時から鎮座していた大物が無くなった跡の壁は闇落ちしていた。ホコリとタールが織りなすラスボスの出現で、私は感傷に浸るどころかパニックになった。ゴミ出さなきゃ!掃除しなきゃ!荷造りしなきゃ!

地元

仕事ばかりで地元に根付いていないような気持ちだったが、いつの間にか仲間に入れて貰えてる。荷物を外に運び出したり、大量のゴミを運ぶ私に知らない人が声を掛けてくれる。

地元「どうしたん?仕事やめるん?」

私「ええ、旦那が亡くなったんで閉めるんです」(通称:旦那)

地元「あの、ココの草刈りしてた若い人か!」

地元B「あんた冷凍庫の有りもの食べるって限度もんよ。米たべなさい」と言って88歳のお祝いの米5kgを持ってきてくれたり「買い物も車ないと行けんでしょ」と卵1パックとりんごを2つ貰った。

昨日、残りのサバを引き受けてくれた親父さんが売り物の手こね寿司を持って来てくれた。

地元C「手押し車無いからうちの貸してあげるからゴミ運ぶのに使いな」

毎日いろいろな所でありがとうに出会う。田舎の良さをこんなお別れの時期にわかるなんて、なんてもったいないことだろう。たぶん、ココの歩いて回れるくらいの小さいエリアに限ったことかも知れないけれど、登山道ですれ違う時に挨拶をするのと同じ文化がある。おはようございます。こんばんは。誰とも関係なくみんなが挨拶を交わす。

そんな皆は、私が長野に帰る事を心底心配してくれている。年に1度雪が舞うか舞わないか、少なくても私はココで雪が積もっているのは見たことが無い。皆が想像している雪国は、たぶん私が帰る長野よりも険しいのかも知れない。

お墓が無いんですけど

彼の弟さんの運転するレガシーの助手席でゴミステーションまで行く途中聞いてみた。「お母様からお寺さんを教えていただいて、グーグルマップで見たらお墓っぽいものが無いんですけれど」

「あぁ、母から聞いてます。正直あそこはお堂があるだけで何も無いので実家に来てもらったほうが、共同墓地は京都なんですよ。」

大どんでん返しだった。「ちゃんと工場を畳んで暖簾下げたよ。長野に帰るね」と報告したかったのに、ちょっと京都は遠すぎる。どうやってお別れしたらいいんだろう。と考えながら、頭の隅で「ん?共同墓地ってことは私も一緒に入れちゃう?」といたずら心が顔を覗かせる。

ゆっくり考えるしかないかな。

明日、早く起きてコーヒーを飲んで朝ごはんを食べたらフライパンとポットを捨てる。そして最後の可燃ごみに集中してから拭き掃除。宅急便伝票はあと3枚。ふたりで「私達は断捨離と無縁だよね」と笑っていたのにラストパワーで捨てまくる。

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