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去年の今頃...

 去年の今頃は何をしていたんだろう?
飲食店に卸す仕事がコロナで無くなり、年明け早々のロットを作り終えてからは私はほとんど仕事をしていない。
「俺ひとりでやるから」
日がな一日、私は楽しく遊んで暮らしていた。「なんで一緒に仕事しないでいいんだろう?」という質問をする勇気もなく、心の底に不安と疑問を抱えたまま遊んでいた。この時期は100均で買った刺繍セットでひたすらチクチク遊んでいた。

明日は月命日

 月命日が来るのが怖い。彼を思い出して悲しい日もあれば落ち込まないで過ごせる日もある。お仏壇もないし花もないし、飾っても速攻で猫が倒すだろうし飾れない。
 たぶん彼本人に何して欲しいと聞いても「何もいらない。何もしない」と言うだろうし、故人を偲ぶとなると...、偲びっぱなしだし。
月命日だ来るだけでこんなにビビっているのだから、お彼岸やら彼の誕生日やら新盆、一周忌と考えると身が持たない。

noteを振り返ってみた

 自分でも何を書いたのかよく覚えていないので、読み返してみた。
この頃は図書館で死別関連の本(喪失/グリーフケア)を読み漁っているのだが、自分のnoteの記事に何か手がかりがあるのかチェックしてみたかった。

混乱期

 死別後一ヶ月してから書き始めているのだが、私の場合は初めの2ヶ月半は「混乱期」だったみたいだ。自分でも自覚している「お留守番気分」で頭では彼が亡くなった事を知っているけれど理解できてない。腑に落ちていない。ただ混乱しているので時間の流れが速く、毎日やるべき事を必死でクリアしていく。ただ落ち着いて冷静に事を処理できる余裕がないので、同じ事を何度もメモしているのにメモが見当たらないなどロスも多くて一杯一杯でパニックに近いので自分の空腹感もあまりわかっていなかった。
 ただただ「私がここで倒れる訳にいかない」ということは繰り返し自分に言い聞かせていたけれど、おにぎり1個食べるのに1日掛かったり、一日にりんご1個と羊羹1切れで足りていた。

否認
怒り/罪悪感

12月の後半あたりから時間の流れが変わったと実感した。月に1回しかない缶ゴミの日にゴミを捨て忘れて、完璧にタスクをこなしスケジュール通りに引越まで完遂させるのを使命だとしていた私には信じられない失態であったのだが、「もう追い立てられていないんだ」となんだか嬉しかった。
 しかし、追い立てられず余裕ができた部分に「彼がいなくて寂しい」という感情が入り込むようになったので、大好きが暴走を初めた。
「ずっと放さないって言ったのに」から始まって出てくる疑念や寂しさに自分で合理的だと思える理由をこじつけて自分を納得させて抑え込む。
過去の写真やらメールにすがって印刷したりとストーカー行為で気を紛らわせる。
罪悪感については、書ききれない。
毎日の犬の散歩に「一緒に行く?」と聞いても「いい」と断られたそれ以上は誘わなかったのも運動不足の原因だろうし、野菜不足も私がもっときちんと食生活を管理できただろうし、マヨネーズかけすぎ、醤油かけすぎ....。
 今も買い物に行っても燻製類も魚介類もまず買わない。ロクに見ないで通り過ぎる。これも根は罪悪感なのかも知れない。

抑うつ

 抑うつではないのだが、先日食料の買い出しに行く途中で続けざまにサイレンを鳴らした救急車とすれ違った。
1台目とすれ違うときに軽いパニックを感じて涙目になり、脳裏では苦しむ彼の姿を思い出しながら「お願い助かって」って思いながら救急車をやり過ごしたのに、耳鳴りのようにいつまでも消えないサイレンの音に冷静になれなかった。実際は私の進行方向で次の救急車がやってくる音だったのだが、
「お願い助かって」を何度も唱えていた。
 買い物を諦めて帰ろうかと思ったけれど、何故か成功体験を得なければならない気がして買い物して帰ってきたけれど、帰って来てから泣いた。

諦め
転換
再生

 まだ諦めまで達していない気がする。

正直、死後1年間喪に服すとか「愛情深い人だったんだな」と他人事のような感じで、私の理解が及ばないような聖人のような愛や慈しみの心を持った人のケースだと思っていた。
 人間誰しも大切な人との死別はあり得るのだし、もしかしてすでに傷ついた心のままで仮面を被ったままの人に不用意な言葉を投げかけてしまっているのかも知れないと思うと切ない。

そろそろ日付が変わって、4回目の月命日になる。
ごめんね。ありがとう。ご苦労さま。待っててね。まだ死ぬ予定ないから、
ずーっと待っててね。



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