1年半なので...
見えにくいモノ・コトって厄介だなと改めて思う。自分が無意識にしているのか意識的に封じているのかさえも判断が曖昧になってしまっている。
見えにくい心
数日前から少し疲れが溜まってきたのかなと思っていた。我ながら驚く回復力を持ち合わせているので翌日に疲れを持ち越した記憶がない。徹夜の2連チャン3連チャンもどうにかなるもんで、彼と〈1週間に3回の睡眠で働くシフト〉とかしてブラックに稼いでいたこともあった。
慣れない早起き生活も1ヶ月を過ぎ、暗記すること多すぎ、社員さんたち仲悪すぎで気持ちを削がれているのかなとも思った。
ただただ、自分の仕事を精一杯頑張れば
彼は見ていてくれるし、応援してくれるし、褒めてもらえると言い聞かせて
笑顔と感謝を大事にしようと働いていた。
そして、さっき気がついた。疲れているんじゃなくて落ちていると。死別後の深い暗闇に飲まれてしまう〈落ち込みの波〉とは少し違って、死別直後が大怪我だとすれば、今は癒えない擦過傷がそこら中にあるような...。気に留めなければ怪我を忘れて過ごせるけど、気がつけば傷だらけのような落ち込みかたをしていた。
見えない彼
部屋がゴチャゴチャである。収納スペースなんて端からないのだが、それでもベッドの下やら棚には彼と暮らしていた時のモノが詰め込まれている。従って、普段使いのモノは出しっぱなしになってしまう。
このところネットでハンガーラックを買って仕事に着ていける服を収納しようと物色していたが、あの日に捨てたものをまた買うという行為に一歩が踏み出せず諦めた。
私を応援してくれるだろう彼の存在を、いつの間にか私が囚われる幻影にすり替えてしまっているのだろう。お魚が大好きな彼なので、買い物に行っても鮮魚コーナーはほぼ素通りである。洋楽もアニメも二人の日々に溢れていたので切り離してしまった。
先週、彼とハンバーガーを食べる時のために作り置きしておいたピクルスが終わった。「お前コレ使う?」と言って彼がくれたドットライナーも終わってしまった。どちらももう買わないと思う。こうして切り離した小さな日常が、この1年半でどれだけ積み重なったのだろう。
今を生きるためのブロックが、日々を重ねると生きづらくなるブロックになってしまっているジレンマ。
正直に白状すると、脳内の彼の言葉も笑顔も少し薄れてきてしまっているようにも感じる。最後に夢で会えたのはいつだっただろう。彼を私にチャージしたい。
記念日反応
命日でもないのに〈なんで今落ちているんだろう〉と考えてみた。
そっか...。そろそろ今年の誕生日プレゼントを何にしようかと考え始める頃だったからかな。6月の君の誕生日までにはまだ日があるけれど、暖かくなり始めると「どうしようかな~」と少しウキウキと思い出しては考えるを繰り返していた。
なんだか、大切な誕生日が普通の日になってしまったようで悲しい。
ツイート
死別後に作ったアカウントでよくお話をさせていただいていた人たちのお姿をあまり見かけなくなってきた。かくゆう私もあまりツイートしなくなった。
流れてくる死別から日の浅い方のツイートに〈本当に辛いのはもっと先だよ〉とか余計な事を思ってしまったり、逆光にさらされているように眩しかったりで、いいな~と心で思っているのにいいねが押せなかったりする。
改めて思うのは、1年半経っても自分は立派に死別者カテゴリーに住んでいるんだなということ。自分の足で立つとか前を向くとかいう言葉が存在しない世界に住んでいる。
もし、この世の普通の人々に声を届けられるなら、いじめや病気に苦しむ人に「頑張れ」と言わない世界感が広める必要があるように、死別者には「前を向け」とか言わない世界を広めたい。
〈前〉を失ってしまうのが死別かも知れないから。
業務連絡
君の判断で夢に出て来ないのか、そもそも私が夢を見なくて出て来れないのかわからないけれど、ソッチ責任で定期コースをお願いしたいです!
もしかして、夢に出るのって有料なの?未だに有料サービスは苦手なの?
大切な人を残して逝って幸せに暮らせる世界ってどんな世界なん?君が深夜に長距離運転するだけで心配だったから、大事な人を心配せずに幸せでいられるって想像できないよ。
私を助ける絶好のチャンスだよ!だから夢に出てきて。
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