見出し画像

視座とは、誰の幸せを願えるか

「視座の高さ」とはなんでしょうか?

「視座」の話をしたいと思います。


「視座の高さとは、誰の幸せを願えるか」

僕の中での定義はこれです。


人は皆、自分が可愛いものです。

自分を愛し、自分の幸せを願うのは当然です。

多くの人はここで止まります。


でも、他人の幸せを心から願える人もいます。

そういう人は、自ずから行動が変わってきます。他人の幸せのため、積極的に行動します。

例えば、上司の幸せのために働ける人は、自ずからその上司の視点で物事を考えます。

結果として、今の自分の位置よりも、一段高い位置から物事を俯瞰することになります。

僕はこういう人を、「視座が高い人」だと思います。

注意したいのは自己犠牲をしないことです。

自己愛があって、その上に他者愛があるということ。


集団愛を持つに至る人もいます。より高い視座を持つ人たちです。

自分が属する組織、あるいは国を本気で良くしたい、そういう思いで日々を過ごしている人、それが集団愛を持つ人です。

仕事で言えば、組織を率いる経営者の視点で物事を見る人。あるいは、国を引っ張る各分野のリーダーの視点で日本をよくしたいと願う人。

集団愛を願う人は、そういった人と同じ位置から物事を見なければなりません。

そうすれば、自然と視座が高くなります。


愛の行き着く先は人類愛です。

世界を、全人類の幸せを願って、それを行動に移す人。

その行動は、自ずから世界に大きなインパクトをもたらしうるものになるでしょう。

そういう人を、僕は最も視座が高い人たちだと思います。