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「彼の言葉と彼女の言葉」 〜ツァイトフォトサロン石原悦郎と写真家オノデラユキ〜


オノデラユキさんの作品を購入させて頂きました。
購入先のツァイトフォト国立は、以前は東京の京橋にあるツァイトフィトサロンという名のギャラリーでした。

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僕が23歳でアーティストデビューするきっかけを与えてくれたギャラリーで、アラーキーや森山大道、杉本博司をはじめ、数々の素晴らしいアーティストを排出してきた老舗ギャラリーです。

当時、作品を購入させて頂いたオノデラユキさんをはじめ、石内都さん、鷹野隆大さんのような写真家から、辰野登恵子さん、日野之彦さんなどの画家まで、錚々たる方々がツァイトに所属されていて、一緒に展覧会をさせて頂く機会など全てツァイトフォトサロン、オーナーの石原悦郎さんのおかげで実現しました。

彼は本気で僕を可愛がってくれました。
僕の作品(しかも100号、150号などの大作ばかり)を沢山買ってくれました。
右も左も分からない学生画家に色々なチャンスと現実的なお金を与えてくれました。
個展や海外の展覧会など、当時の僕にとっては夢のような話です。
自分が初めてアーティストとして生きていくという、素晴らしさと厳しさを教えてくださった方です。
彼のようなギャラリストには未だに出逢ったことはありません。
(石原さんは2016年に死去されました。現在は石原さんの意思を継いだスタッフの方々が、彼の国立の自宅でギャラリーの所有作品を公開、販売しています。)


話は戻りますが作品を購入させて頂いたオノデラさんとは個人的に今でも記憶に残るエピソードがあります。

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僕が石原さんのおかげで初めて上海で展覧会をする際、輸送のトラブルが起こったらしく上海に作品が届かないという事態に陥りました。
自分自身の責任ではないにせよ、悲しみで途方に暮れている際、たまたま上海に滞在していたオノデラさんがギャラリーにやってきました。

オノデラさんはパリに活動拠点をおき、東京都写真美術館をはじめ、上海美術館やフランス国立ニエプス美術館などでも個展を開催されている大変高名な方だったので、お会いするだけでも毎回緊張していましたが、その時は自分にオノデラさんにどこかすがりたいという弱く甘い気持ちがあったように思います。

早速彼女に慌てふためいて事情を話すとこんな返答がありました。

『へーそれであなたはどうするの?観てくれる人を喜ばせてこそアーティストだとおもうけれど。石原さんは君が何をするか楽しみに待っていると思うよ。』


てっきり同情してくれるのかと思いきやです。
彼女が言っていることは確かにその通りだと思うけれど、それは僕の責任なのだろうか?と正直心の中で叫んだ記憶があります。

オノデラさんが帰った後、悶々と知らない異国の地でフラフラと悩み、彷徨いながらだんだんと覚悟が決まってきました。
たまたま訪れた路地裏では、興味を唆る犬(その犬がモチーフとなりました)が僕を待っていました。
とにかく今の僕には絵を描くことしか残されている術はないのです。

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その夜、竹に筆を括り付け(壁面が高過ぎて困っているとギャラリーのオーナーがどこからともなく竹を一本持ってきました)徹夜しながら壁面に向かって制作することになります。

僕がツァイトのスタッフの方に覚悟を話したら、即ギャラリーに掛け合ってくださりオーナーに許可を取る事が出来たのです。(新築のギャラリーで、まだ誰も使用したことのない広大な白壁を、絵の具で"ぐちゃぐちゃ"にする許可をです)

しかし猶予は1日しかありません。

画材もそこらへんで適当に調達してきたものですし、10m以上ある壁面に壁画を1日で制作するなんて無謀過ぎます。
もちろん壁に描いた事は一度もないですし、やり方も一切わかりません。

とりあえずは操作の効かない自分の身長よりも長い竹筆を使い、曲芸をしているかの如く描き、普通の長さ筆の際はジャンプしなら叩きつけるように描きました。
ほぼアクションペインティングです。
自身の今まで培ってきた技は全て封じ込まれてしまったという感じです。

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しかしその時に感じた非常に強い恐怖感と、なんとかやりきって完成させた時の高揚感は今でもハッキリ覚えています。
オノデラさんの言葉と、この体験は今でも僕にとって何にも変えがたい財産となっているのです。

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この出来事からはどんな事情があるにせよ、どんな状況であろうとアーティストは諦めてはならないし、無から有を創り出せるのだと知りました。
自分の新たな可能性は誰かが与えてくれるものではなく、自分自身が創り出すものなのだと。
アーティストにとってこれ以上、自信に繋がるような体験は今でもありません。(ちなみにこの経験が数年後のトンボ鉛筆のCM制作の際にかなり生かされることとなります)



もしオノデラさんがその場に訪れていなかったら僕はあの壁画を描くことなかったですし、自分の限界に挑戦することもなく物事を誰かのせいにして逃げていたと思います。
それには何の価値もありませんし、成長もない。
全ての敵は自分自身であるのだとオノデラさんから僕は教わりました。

結局壁画はなんとか完成し、発表することとなりましたが、当然ながら売り物にならず(ギャラリーの壁面に直接油で描きましたから、会期終了後、現場復帰のためにギャラリーが業者に頼んで白く塗り直したそうです)に終わりましたが、石原さん、オノデラさんをはじめ、現地のコレクターなどからも大変好評を頂いた作品となりました。

自分にとってはお金以上の成果でしたし、石原さんも手放しで喜んでくださいました。(石原さんからすれば、ビジネス的にただの赤字となってしまうにも関わらず)

ギャラリーでのオープニングパーティの後、関係者でレストランで打ち上げをしました。
中国ではワインを乾杯したあとグラスで一気飲みをする文化があります。
ギャラリーオーナーは思いきり僕を褒め称えてくれました。
そのあと彼にしこたま飲まらされ、現地通訳の方に思いきり吐き、その後便所で熟睡した(聞いた話しによると)ことは今でも申し訳なく思っています。

とにかく僕は非常に良い方々に恵まれていたわけです。
誰一人として僕を拒む人はいませんでした。

その後色々と紆余曲折はありましたが、今、オノデラさんの作品を所有できるということはとても感慨深いものがあります。
購入した作品はオノデラさんのキャリアの中でもアンダーグラウンドな立ち位置(私の見解なので異論がありました申し訳ございません)のものです。

直感で選びました。
とても光り輝く作品ですが、正直に話すと今の僕には身の丈に合わないくらい高額な作品です。
もう少し安価な作品があるにも関わらず。

何故わざわざこんな事を書くのかというと、石原さんの言葉、遺志が僕の心の中に残っていたからです。

それは、

「作品を選ぶ際に悩むことがあったら、迷わず直感で買え。金に糸目をつけずに。そしてもしその直感にお金が払えないのならば何も買うな」

という言葉です。

もしこっちの方が安いからとか、こっちの方が人気のシリーズ(投機目的も加味して)だとかで選んだとしたら、本当に欲しいものは手に入らなくなる。
自身の直感に身銭を切れない者、覚悟をできない者は本当に欲しいもの、言うならば自分自身が本当に求める愛、幸福などは決して手に入れられない。
だから妥協などは決してしてはいけない。
妥協して生きるくらいなら、もしくは妥協しなければならない状況ならば、せめて姑息なアクションは起こすな!ドンと構えて何もするな!というメッセージだと思います。

作品購入一つとってしてみても、そこには人生がかかっているのだということを僕は彼から教わりました。(ちなみに石原さんのお金の使い方は豪快だけれど、品がありました)

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僕は彼の遺志に従い、今でも直感で選んだものをだけを信じて(モノも仕事も人もコミュニティも全て)、そこに愛と責任を持って生きていこうと心に決めています。

妥協はしません。
あの壁画を常識的な紙やキャンバスで描かなかったのも、その方が面白い、興奮する!と直感で感じたからです。


ただし、それでも失敗してしまったり、迷惑をかけてしまうことはあります。
時に人を怒らせてしまうことも、失望させてしまうこともあります。
その時は素直に反省し、人に心から謝ります。
傲慢な言い方に聞こえるかもしれませんが、失敗したにせよ、迷惑をかけたにせよ、自分が直感で選んで心から愛を感じたモノ、人だからです。

そして物事が落ち着いた時には必ずチャーミングな笑顔を添えることも忘れません。
これも全て彼の教えです。


彼が亡くなった後、オノデラさんの展覧会(つい先日ことですが)がツァイトフォト国立で行われました。
とても品のある美しい建物です。
彼女の作品と彼の自宅の調和は素晴らしく、僕は一気に引き込まれました。

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その際スタッフの方から石原さんのこんな話を聞きました。

「石原さんが健在の頃はそれはそれは苦労した事も多かったし、距離が近いから大変だった。去っていった人も沢山いた」と語りながらも、「彼の存在がなくなった今はとても悲しい。偉大な人だった」と苦笑いを浮かべていたのがなんとも印象的でした。

石原さんは不器用ながらもスタッフの方々を心から愛し、感謝しながら誠実に接していたんだろうな思いました。
ただ時折、その彼の誠実さが人を傷つけてしまう、追い込んでしまうこともあったのだと思います。


実は僕も彼から逃げ出した1人でした。
彼の言葉一つ一つ、存在が大きすぎてとても苦しかった。
アーティストしての自由が徐々に感じられなくなり、筆が握れなくなってしまうことも多々ありました。

しかし今となって思うのはそれは僕がまだまだ未熟だったなと反省すべきことばかりです。
感謝すべきことばかりなのに、いっときの目の前の苦しさで全てをほっぽり出し、彼に抵抗し、逃げ出したのです。
後悔の念も沢山あります。
僕はあまりに無知で脆く、若すぎたのかもしれません。


僕がツァイトを去ってから4年後、石原さんの葬儀に参列することになりました。
あふれんばかりの白い百合の元、石原さんは眠りについておられました。
照明も華やかでとても石原さんらしい葬儀です。

心から皆、彼に涙と敬意を捧げていました。
嗚咽が止まらないアーティストも沢山いました。
霊柩車を追う者さえいました。

僕には全てがわかりました。
結局のところ石原さんは皆から愛され、惜まれこの世を去ったのです。
沢山のプレゼントを皆に渡し旅立ったわけです。

とにかく今はオノデラさんの作品を自分のアトリエに飾った瞬間、石原さんが天国でニヤリと微笑む瞬間が楽しみで仕方がありません。
僕の使命はオノデラさんの作品があるこのアトリエで自身の直感を信じて最高の作品を描く、それだけです。
いつか石原さんに「お前はやっぱり凄い絵描きだな!」とチャーミングな笑顔と共に言われたいのです。


p.s
私ごとですが石原さんが亡くなって4年以上の年月が経ち、やっと言葉にすることができました。
全てはオノデラさんの作品のおかげです。
一つの芸術作品がずっと背負い続けた男のしがらみと葛藤を自力で吐き出し、乗り越え、心から感謝している気持ちを言葉にする勇気を与えてくれました。

真の芸術とは鑑賞者を救おうとするのではなく、鑑賞者に生きるうえでの問いかけと、きっかけを与えてくれるものだと信じています。
僕は芸術を愛しています。

追記:2021/2/10
その後スタッフの方から展覧会のお話を頂きました。
敬愛する作家仲間と共に約1ヶ月のグループ展を開催いたします。(本展では作家としてだけではなく、キュレーションも務めさせて頂きました)

「estate」ZEIT-FOTO kunitachi

出展アーティスト:
山脇紘資
鈴木秀尚
奥天昌樹
Kentaro Takahashi
山﨑萌子

2021年3月20日(土)~4月24日(土)11時~18時
※基本
金曜日、土曜日、日曜日(4月11日、18日は休廊)のみ開催
上記以外の日程は要問い合わせでお願いいたします。


・ZEIT-FOTO SALON
https://www.zeit-foto.com/exhibition

・出展作家URL
https://linktr.ee/zeitfoto



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