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Ivoryのこと②完

Ivory

とは、2024/7/30に発売された声優であり、あらゆることのアーティストである田所あずささんの6曲入りのアルバムです。6曲とも作詞を任せてもらったのでそれぞれの曲のことを作詞家目線で書いています。これは②で完結編ですが、②から読んでもらってもいっこうに構いません。

※8/31、アンカットの部分に追記しました。

4、アンカット

田所さんが日々受け取るファンの方々からの手紙の内容をもとに詞をつくりました。アルバム制作当初から、みんなへの返事としての曲をつくりたいと田所さんは言っていました。ファンの総体に返事をするというより、なんとか1人ずつ個別に伝えることができないかというアクロバットな要請。難しそう。

実際のファンレターの文面を匿名状態でいくつか画像で見せてもらったので、とてもイメージしやすくなりました。どれもものすごく考えた跡のある文章でした。

もらった人は感激するだろうな、という手紙の数々。個別に返事がしたくなるのも無理もありません。でもたとえば手紙で、たとえばXのDMで、本人から直接その返事が来たらどうでしょうか……いや嬉しいですよね!そりゃ嬉しいですよね!でも「見られてるんだな」とも思ってしまいませんか。見られてるならこうやって褒めた方がいいかな、とか、ここはあんまり好きじゃないけど、見られてるなら褒めとこうかな、とか。だんだん自分だけの楽しみ方じゃなくなってきてしまいそうです(それでもやっぱ直接返事が来たら嬉しいだろうけど)。だから、あなたの手紙を見てるよ、とは直接言えないものなのです、楽しみ方を限定したくない。

でもなんか返したい、何かお返ししたいということでこの曲ができました。

田所さんにはそういうことがないと思いますが、有名な人の人間としての弱さは「噂」に変わります。人間として弱い部分が噂としてSNSなどで真偽不明の醜聞・スキャンダルとなって駆け巡ります。本人は謝りたくても否定したくても沈黙しておいた方がいいことがあり、本当の自分とは少しズレた何かが大衆によって思い切り消費されます。田所さんに限って言えばなんか「ポンコツ」みたいな本人も気にしていなさそうな言われ方しかなさそうですが、多かれ少なかれ単純化されて、幾億のニュアンスが捨象されて消費されています(それが「売れる」ということと繋がっているのがまた難しいところです)。

あなたは世間からこう思われているかもしれないけど、私はなるべくあなたの本当のところに近づきたい。そんな思いが田所さんへのファンレターには溢れていました。全く単純化していない、アンカットのあなたに近づきたい。そしてそれは、田所さんからファンの方々への思いでもある。こんな成熟した関係を結べるなんて、めっちゃ良いことですね。

※ここから追記

「君がたとえば優しさでダサくなるのなら」のことを書きます。

これは田所さんの愛猫ラジャの画像を見せてもらったときに、足元に大量のタイルカーペットが敷いてあったのを見て思いつきました。気の利いた色味のフローリング、絶対にそのままの方がスタイリッシュですが、猫が足で地面をとらえやすいようにタイルカーペットが敷いてあります。

たまに猫がかわいい動画を見て、つるつるのフローリングのままのものを見るとあれ?と思います。猫の一歩一歩が少し滑っているのです。猫が足元を気にせずに走りやすくなっていれば、その分ストレスも感じないでしょう。そのせいで部屋の見栄えが少し「ダサく」なっている。そういう種類の「ダサさ」があって、それって素晴らしくないですか?

誰かのために自分が「ダサく」なることができる。部屋の見栄えVS駆け回る猫のストレスフリーを天秤にかけて、問答無用でタイルカーペット。たしかにこの世の大抵の天秤は猫の方に傾くとは思いますが、これからそういう種類の「ダサさ」に敏感でいたいと思います。

気の利いたフローリングに、走りやすいタイルカーペットを敷くことを選択できる相手に手紙を書くみなさんですから、きっと必要なときにはその種の「ダサさ」を誇りを持って選び取ることができるんだろうな思います。私もなるべくそうありたいと思います。

※追記ここまで

5、家弁慶in da house

まさかのラップ。声色の力の抜き方が絶妙ですよね。これは田所さんと愛猫ラジャがサイファーする想定でつくりました。でも2人(2匹)は路上に繰り出したりしません。家でゴロゴロしながらやります。家弁慶だからです。内弁慶より範囲が狭い。

「家弁慶in da house 家弁慶in da house」の「in da house」は本当は「〜参上!」みたいな「やってきたぜ!」みたいに使われますが、田所ラジャペアのin da houseはマジの自宅にただずっと「いる」という意味です。

他にこのまんまの意味合いで使ってる人いないかなーと思って探したらKICK THE CAN CREW「住所 feat.岡村靖幸」にありました。「住所」ってタイトルめちゃ良い。

ラジャは気位が高く、いつも本気(マジ)。相手してくれなかったり遊んでくれなかったり知らない人(というか基本的に田所さん以外の人)が来たりした時は、すぐさまシャーかます覚悟ができているそうです。田所さんが少し動けば「遊びか?」「ご飯か?」と目を光らせ、何かしらの満足を得るまでねだることをやめません。そしてそれ以外の時間は眠る。捨て猫だったラジャは王様まで上り詰めました。

猫と違って田所さんは働きに出なければなりません。涙と笑いの総合職なので気苦労が絶えません。大きな舞台に立つ前日は眠れず、眠れないことが喉に与える影響を心配して不安になりさらに眠れません。なんとか乗り切って帰ってきてすぐにパジャマに着替え、ラジャの世話をしてゴロゴロゴロゴロするという毎日らしい。「即帰宅でパジャマ」ということで最後の曲の話にいきます。

小ネタとして歌詞に入れた田所さんの逸話・伝説は他にもたくさんあり、泣く泣くカットしたので是非またラップ曲はやってほしいですね。そういったネタ元はみなさんの日々のXのつぶやきだったりします。ありがとうございます。

6、Last Thursday

田所さんがラジャという名の猫と暮らしていて、そのことに至上の喜びを感じているということで、このタイトルになりました。

「木曜日仮説」という、〝世界は先週の木曜日にQueen Maeveと言う猫によって創造された〟という仮説があります。実はこの世界は人間が猫の奴隷的身分として配置されていて、だから気まぐれな猫に対して我々はこんなに愛おしさを抱き、せっせと世話をするんだというもの。これは元ネタがあって、つまりパロディということになります。その元ネタにはさらなる元ネタがあって、把握するのがけっこう面倒です。

元ネタはバートランド・ラッセルが考えた思考実験「世界五分前仮説」。そしてそのさらなる元ネタがフィリップ・ヘンリー・ゴスの「オムファロス」。ここではキリスト教神学の「神が世界を創りたもうた」みたいな言説と科学的な宇宙の起源がアクロバティックに接続されています。因果それ自体を私たちが捉えられないことを上手く突いた、誰も言い返せない仮説です。

とにかく人類は猫のために存在すると言われれば、そんな気がしてきます。猫は明らかに可愛すぎるからです。全ての願いを叶えてあげたくなってしまいます(叶えさせていただきたく存じます)。どうせ全部叶えてあげるんだから、ダイレクトに要求を知りたいところです。この曲の中では無線通信がコミュニケーションを取り持ってくれます。

オカルトでは写真やレコーダー、素粒子など、仕組みが若干よくわかっていないものを挟むとこの世のものじゃない何かが観測できる、という謎のお約束があるので、猫との意思疎通を無線通信に任せてみました。

Aメロの歌詞が今週末じゃなくて今終末なのも、世界の起源としてのタイトルと呼応しています。そして「産声はハミング」でも表現されている、猫がベッドに潜り込んできてくれる喜びがこの曲のサビでも歌われています。

さて、こんなところでしょうか。長いものを読んでくれてありがとうございました。

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