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異能の若ものは、いつしか、平凡なおっさんになる

「異能の才を活かして欲しい」。20年前にある総合商社の最終面接で言われた言葉だ。その後、茶目っ気たっぷりに「伊能忠敬じゃないよ」と言われたのが妙におかしくて、面接で何話したかロクに覚えてないが、そのことだけは今でもよく覚えている。

振り返ってみると、今年は色々なことから20年だ。学生時代のデザイン会社を卒業して20年、就活をして20年、大学卒業して20年、体調崩して入院して20年。随分な月日が流れたと思う。

当時の僕に異能があったかというと、今思えば、全然そうでもないと思うんだけど、当時はそれなりに自信もあったし、学生としては色々な経験をさせていただいていたと思うし(Webデザイン界の寵児や、マーケティング界の神様と仕事していた!)、まあなんか、ちょっと変わっていたとは思うわけで。

で、今なんだが。。。

平凡なおっさんだよなあ、って思う。東京の片田舎で、週末のラグビーを楽しみにしつつ、日々、米を炊き、コーヒーを淹れて、モニタに向かって仕事をしつつ、テレビかSpotifyを流し、しばしば野山を眺め、鳥の囀りや虫の音に耳を傾け、器と古着を愛でている。

全く新しい時代の仕事をしていたつもりだったが、Webデザインも今では随分コモディティの仕事になってしまった。デザインに携わることも、テクノロジーに携わることも、それほど特別なことではなくなった。誰でもできることが、人よりちょっとうまくできる、言ってしまえば、その程度だ。

まあでもこれが落ち着くところだった気がしているよね。。。

最近、改めて、工夫が大事だと思っている。面白きことなき世を面白く、平凡なおっさんが、世を面白く渡り歩くのに必要なのは、工夫だ。うまくいかなかったり、上手にできないことがあればこそ、人間は工夫する。成長とかでもない気がしていて、なんかもっと些細な気付きと綻びの回収だと思うのだよな。

異能の時代は終わったのだ。

なんか、思うに、異能と言われたがゆえに、異能であろうとした、まあ平たく言うと、背伸びし過ぎていたきらいある。そんなに特別な才能持ち合わせているわけでもないのに、なんか人と違うように見せようというような。無力感に苛まれる時間はたっぷり若い頃にもあったろうに、なぜか、折々で自信は失わなかったんだな。鼻は折れて曲がっているけど(ラグビー)。

今も自信はあるんだけれどもね。

平凡でも闘えるだろうし、平凡でも楽しめるだろう、みたいなところがあるよな。それを支えるのが工夫な気がして、注意と観察で、工夫って誰にでもできることだけど、誰もがやることじゃなかったりもするわけで。

工夫していかないとなーと思う。

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