さば(鯖)をさばく

魚が大好き子どもたち。自分で「サバさばきたい」となり、出刃と柳葉を揃えました。でも一匹丸ごと売ってるスーパーの少ないこと!昔は魚屋さんで簡単に手に入ったのにね。今は産直スーパーを見つけ、仕入れ日に通ってます。魚丸ごとさばくのは、学べることが本当にたくさんあって超おすすめ。

さて、今回はほぼ中学3年間不登校だった子どものその後について、お話ししたいと思います。子どもが好きなコトに毎日取り組み始め、2年ほどが経過していました。将来の進路、どうする?と考えたとき、高校にもし行きたいとなったときに行ける様、必要最低限の数学と英語だけ、個別の塾に通わせ、勉強はさせていました。

そんなとき、子どもの「好き」「得意」を学べる私立高校のパンフレットをたまたま見つけました。直感で「あ、この高校いいかも」と思いすぐ子どもに見せると、「オープンスクールに行ってみる」と。毎日取り組んでいたことが思いっきり勉強できる学校でした。その高校に入ることが目標になり、毎日試験で出る課題を自らやりました。

オープンスクールは全て参加し、とても楽しそうで、先生にも顔を覚えてもらいました。他の学校も一応見に行きましたが、「なんか違う」と専願で受験。合格発表の日は大雪の日、番号を見つけた瞬間2人で抱き合って喜びました。

そんなとても行きたかった高校、でもやっぱり最初躓きそうになりました。入学前の宿泊合宿に行きづらいと。事前説明会で、みんなが中学時代のことを楽しそうに話していたのに、自分には何の思い出もなく何も話せなかったのが辛かったと。この場におよんでまた学校に行けない?!どうなる?!と、かなり焦りました。

合宿当日は私と一緒に家を出たものの、子どもは腹痛と言って一つ手前の駅で降り、その後反対方面の電車に乗って逃走。その後一旦家に戻りましたが、夫が「ここが一番大事な時やから」と会社から帰ってきてくれ、子どもを車に乗せて合宿場所まで連れて行ってくれました。そこで、ちょっと無理やり先生に引き渡したようですが、なんとか帰りまで無事過ごしました。あれ、結構重要なターニングポイントだったと思います。その時、友達もできて少し自分の居場所を見つけたようです。

それでも一か月ほどは、学校最寄りの駅まで私が毎朝送っていきました。5月に入ったぐらいに、送らなくても行けるように。その後は、ほぼ休まずに毎日登校。そんな学校での様子を見に、一度だけ参観日に行きました。休憩時間は1人机で本を読んでいましたが、周りの子はそんな子どもを受け入れているような感じで安心したのを覚えています。

まあ、そんな感じでなんとか高校からは通えるようになりました。次回は、大学に入ってからの様子について、お話したいと思います。

~今後のアップ予定内容~  週1回以上のペースでアップ予定です

「私の子どもの不登校経験談」、「不登校になる子どもの様々なパターン」、「不登校になった子どもに伝えたい思い」、「保護者に伝えたい思い」、「見えてきた日本の教育の問題点と提言」、「こんな場合どうしたらいい?不登校の傾向と対策」、「皆さんからのご質問に対するQ&A」、などなど

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