この鶏肉取りにくいねんけど

鶏肉が大好物です。料理人の特権、週に3日以上は鶏肉料理を作ります。特に皮が好き、よく手羽先、手羽元とか骨付きを買います。そのままいためたり、煮たりするので、子どもらには「はしで取りにくいし食べにくい」と大不評。でも、私はめげずに「取りにくい鶏肉」を作り続けます。

さて、今回は不登校になった我が子のその後のお話です。昼夜逆転を避けるため、学校の別室に通わせることに。中一時代は、毎朝私が学校まで送りました。でも学校に入れず帰ってきたこともたびたび。週2、3日ぐらい行けてたら上等のような感じ。外の目も気になり、外出はほぼできずでした。

中二になりクラスが変われば教室まで行けるかな、と期待しましたが行けず。私は学校までは行かず途中まで送り、そこから先は子どもだけで学校の別室に行けたり、行けなかったり、でもたまに1週間毎日行けたり。仲良しの子を中三でも同じクラスにして、と担任にお願いしました。そういうことは、意外と聞き入れてもらえるようです。

中三になると、家の前で「じゃあね」、と別れてそこから毎日学校まで一人で行けるようになりました。別室には仲良しの子も何度か来てくれていたようです。でも、結局一度も教室には入れず、別室に一時間程度居て、帰ってくるだけの日々でした。ただ、外出は徐々にできるようになりました。

家では宿題と、ゲームと、読書と、家事を手伝う日々。特に部屋にこもることはなく、家族全員、子どもには普段通り接しました。誰も、子どものことを否定せず。特に、他にきょうだいがいたので、毎日一緒に遊んでいました。それも、今思えば子どもにとってすごく良かったのかなと思います。

基本的に子どもが通っていた中学校は、 「無理に学校には連れて行けない」という立ち位置、不登校親の会やフリースクールなどの情報もなし。私の中には「学校へ行くか、行かないか」の二択のみ。本人が自分の意思で行かない限り、学校の教室へ行って授業を受ける、という道はないと思いました。

当初は、「なんとか学校へ行ってくれたら」という思いが強く。でも徐々に、「学校行けなくてもいいか」「中卒でもいいか」、最終的には「幸せに生きてたらいいか」と思えるように。実はそう思えた瞬間、随分私の気持ちは楽になりました。正直、中学までの勉強は後からいくらでも取り戻せると思っていました。まあなんとかなる、大丈夫、と根拠のない自信が私にはありました。

次回は、その後子どもの目指した進路について、お話したいと思います。

~今後のアップ予定内容~  週1回以上のペースでアップ予定です「私の子どもの不登校経験談」、「不登校になる子どもの様々なパターン」、「不登校になった子どもに伝えたい思い」、「保護者に伝えたい思い」、「見えてきた日本の教育の問題点と提言」、「こんな場合どうしたらいい?不登校の傾向と対策」、「皆さんからのご質問に対するQ&A」、などなど#不登校 #フリースクール #子どもの教育 #自然教育 #農業食育 #学校以外の学び場 #多様な学びプロジェクト

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