ファッションとオシャレと恋と愛
昨日は、年上の友人、先輩、先生、英語で表現するとなんて言ったらいいかわからない方々に会った。
その後英語の勉強をイライラしながらやった。
それから、夫と外食に行って、その後プラダを着た悪魔を観た。
夫が以前から観たいといっていたので、とんでもなく久しぶりに観た。
すごく、よかった。
初めて観た時は子供だったので、なんだかさっぱりわからなかったが、
大人になってから観たら最高だった。
ファッションも世界観もエンディングも全部良かった。
夫は鑑賞後、アナウインターを調べまくっていた。
彼はファッションに全く興味がなく、いつも適当に無難なやつを選んでと頼まれていたのだが、映画を観てからファッションに気をつけようと思ったらしい。
ファッションが好きだからではなく、周りにいい印象を与えるために身だしなみを考えようとのことだった。
わたしは、ファッションに目覚めた最初の感覚がそういう周りのことを配慮するためのものだった彼を、少し羨ましく感じた。
わたしは、強烈に服やヘアメイク、モデルが大好きだったから、ファッションに目覚めたので、
あまりにも主観的におしゃれを愛していたので、自己の感覚の追求のためのファッションだったので、。
ああ、これが恋かと、。
なんだか恥ずかしいけれど、わたしはおしゃれに恋していた。
ファッションだけではなくすべての、わたしがおしゃれと感じたものに恋していたんだ。
と、まあ今はというと、多分おしゃれとは腐れ縁みたいな感じで、多分日本人が中々言葉にしない、あの言葉の感覚になった。と思う。
盲目で燃え上がる、もうそれしか見えない恋の感覚じゃなくて、
居て当たり前の、暖かいじんわりした、でも大切で、地に足がついていて、
いいって足の底から地面の底から感じる感覚、生きているだけで感謝されているような大切にされているような感覚をくれる方々に感じるあの感覚。
つまり愛してる。
そして、ファッションやおしゃれを心から愛を感じてる。
能動的にでも自然と湧き上がる太陽のような感じ。わたしはおしゃれを愛してるんだ。
あと感じる事ができてるんだ、相手を。
これは恋じゃない、愛だ。
恋は自分が嫌いでもできるけど、愛は自分のことを愛していないと気づけないんだ。愛はどこにでも、たくさんちりばめられているけど。
と、話を戻して、夫はファッションに情熱はそこまでなく、紳士のビジネスツールの一つと捉えているので、そんな冷静な彼を観て、私は私のおしゃれへの情熱的な愛を確認した。
そんな1日だった。
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