たのしい記 #6

 色んな壁の材質を意識する。大体掃除仕辛そうだ。地下鉄の駅等にいると、空間の方が人為であるので、必然愛すべき自然(体)は壁であることになる。

 世の中で愛と言い放つと、大層な様にとられてしまう。
 大事を大事と言いたがらない。愛するものに愛していると言いたがらないのは、人間という生き物が、歪んだ構造をしてるくせにわざわざ斜に構えて安らぐ性質を持つからだろう。実に不器用だ。

 手サイズの板ひとつで嫌われることが出来る、巫山戯た時代であると思う。
 成功と血の繋がらない失敗もあるのではないかと思い始めて三千里、もう手も足もなんにも出ない今日だ。何がとは、ね。
 気づいたら伸びてた足で気づいたら誰か蹴ってた。

 訳わかんないことを訳わかんないと切り捨てるのは勿体ない。訳わかんないものを咀嚼せず呑み込み、喉に詰まらせて真っ赤になればいい。そのほうが美味いこともある。多分。味わえてるかは知んないが。

 とりあえずM-1が楽しみなだけだ。


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