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誕生日とかお墓とか

来たる10/29(土)に息子の運動会が行われます!今年ももちろん絶対に見に行きますが、果たして2年連続号泣している僕は今年も泣いてしまうのか!それともグッと堪えるのか!その辺りも注目の運動会ですね!

こんにちは、息子の雄姿を想像しただけで泣ける男コッシーです。


さて、10月23日は母親の誕生日でした。

ちなみに父親の誕生日が10月21日で、姉の誕生日は10月22日だったりします。
つまり父親と姉と母親の誕生日は連続しています。
この辺りに父と母の戦略的出産の匂いがプンプンします。
#姉の誕生日狙ったやろ
#計画的妊娠

では、僕はどうなんだと言いますと、5月21日で全く3人と関係なかったりします。
#ハプニング出産の匂いがプンプンする
#無計画妊娠

大人になってからは全然気にしてませんが、幼少期の頃は自分だけ誕生日が別の月なのを結構気にしていました。

それこそ「自分は本当の子じゃないのでは…」と真剣に悩んだこともありました。

純粋なコッシー少年はその悩みを両親に打ち明けることができず、コッソリ姉に相談したりしました。

「僕…本当はよそのうちの子じゃないのかな…」

「気付いちゃったか…でも私はあんたのお姉ちゃんだから!血のつながりなんて関係ない!」

「お姉ちゃん!!(号泣)」

こんな具合に意地悪な姉にコッシー少年の純朴さを弄ばれたりしましたが、
幼少期の僕は母親の小さい頃に気持ち悪いくらい似ているので、母親の遺伝子を受け継いでいるのは一目瞭然でした。

中学生くらいになると家族の誕生日なんて特に気にすることもなくなり、大人になってからは逆にネタとして使っていました。

ここ数年は特別感なんて全く無くもはやネタとしても使っていませんでしたし、「おめでとう」と声をかけることもしない親不孝者でした。


今年の5月、父親が亡くなりました。

両親が毎年誕生日をどのように過ごしていたかは分かりませんが、今年は父親が不在なことは間違いありません。

父親が亡くなってから母親は一人で暮らしています。近くに親戚や友人はおりますが、毎日一緒にいるわけではありません。

ふいに父がいない寂しさを感じることもあるでしょう。
特に毎年一緒に迎えていた誕生日となると尚更寂しさも増すことでしょう。

普段、ちょこちょこと連絡は入れていますが、ここ最近は実家に顔を出せていませんでした。
様子を見る良い機会だったので、今年の誕生日は実家に行くことにしました。
23日当日は用事があったので父親の誕生日である21日に行きました。

カタチだけですが一応ケーキを買っていきました。
メールでは「元気でやってるよ!心配いらないよ!」と返信がありますが、可愛い息子に会いたくないわけがありません。
しかも誕生日を祝ってくれるんです。喜ぶ顔が目に浮かびます。


「ただいま!」そう言って実家に帰ると、「お帰り。あれ?ちょっとデブになったね」といきなり容姿をディスられました。

あれ?思ったよりも歓迎ムードじゃないぞ…なんて思いながらも気を取り直して「誕生日おめでとう!ケーキ買ってきたから一緒に食べよう!」と何年かぶりに直接お祝いのお言葉をかけました。

「ああ、ありがとね。そこに置いといて。そんなことより聞いてよ」

誕生日のことはアッサリと終わらせて、そこから母親のマシンガントークが始まりました。


前の職場から手伝って欲しいと声がかかり週2日ほど仕事に言っていること、40年来付き合いがあるお隣さんが少しボケてきて毎日顔を出していること、親戚がコロナに罹ってしょっちゅ買い出しに行っていることなどなど…

いかに自分が忙しく過ごしているかを矢継ぎ早に言ってきました。

口では「もう大変!」と言っていますが、その顔からは嫌そうな雰囲気は全く感じられないのできっと本人は楽しんでいると思います。

父親が亡くなり寂しく生活していないか心配でしたが、母親は母親なりに前を向いて生きているんだなと少し安心しました。


母親のマシンガントークが落ち着いたところでケーキを食べながら、少し今後の話をしました。


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父親は甘い物好きだったので仏壇にもお供えました

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地元の有名ケーキ屋さん、シェシバタさんのケーキ美味しいよ


母親から【お墓】の話がありました。

今、うちのお墓は実家から車で15分ほどのところに位置しています。
そこには父方の祖父母そして父親が眠っています。
姉は結婚して近くにはいませんし、僕も家を出ているため墓守は母親一人で行っています。
もし母親が亡くなったら長男の僕がお墓を見ていくんだろうなぁと漠然と考えてはいました。


「私が死んだら墓じまいして永代供養してくれていいから」


母親からの話は自分の代で墓じまいしたいということでした。

姉も僕も実家近くには住んでおらず、自分が亡くなった後それぞれに迷惑をかけるのが嫌だということでした。

「それに、あんたはめんどくさがり屋だからあんたに任せてたらお墓がくちゃくちゃになっちゃう。お父さんやおばあちゃんたちに申し訳ないわ(笑)」

そう言って笑ってました。

確かに僕は頻繁にお墓に行けるわけでもありませんし、決して先祖を蔑ろにするわけではありませんが、お墓を常にピカピカにしておかなきゃという意識は低いかもしれません。さすが母親です。よく分かってる。


結局、その日に結論は出ず、今後姉も交えて話し合っていこうとなりました。

墓じまいをして永代供養などで故人を偲ぶ形が現代には合っているのかもなぁなんて考えながら帰宅しました。


ちょうど同時期におだんごさんがこんな記事を書かれていました。

今年6月にお亡くなりになられたお義父様のお墓をどのようにするべきかをご家族で話合われたとのことでした。

この先の家族や自分のお墓について無関係な人はおそらく少ないと思います。
その一つの考えたとして非常に参考になると思いますので是非ご一読いただきたいです。


この記事に「ちょうど先日母親とこの話をしました。母としては母の代で終わらせたいと思っているみたいです。」とコメントしたところ、おだんごさんからこんなお返事をいただきました。

お母さんがお母さんの代で終わらせたいって愛情でしかないと私は思います。
やはり、守ってきた人にしかわからない想いはあると思います。

この言葉に母親の本当の想いに気付くことができました。

母親は僕に任せるのが不安ではなく(確かにそれもあるかもしれませんが)、きっと僕の息子のことを考えてくれているのだと思います。

僕だけのことを考えれば、確かに近くはありませんがそれでも車で行ける距離にお墓はあります。
母親よりも頻繁にお世話はできないかもしれませんが、それでも定期的に伺うことが出来ると思います。

しかし、僕の次の代を考えた時、障がいのある息子には墓守は無理だと思います。
そうなると僕が死ぬ前に僕や奥さんが墓をどうするべきかを考えることになると思います。

口には出しませんがきっと母親はそれを見越していたんだと思います。

愛情でしかないと思います。


おだんごさんの言葉はいつも大切な事を気付かせてくれます。

僕は母親の想いを全然分かっていませんでした。

母親の愛情も含めて、今後をしっかりと考えていきたいと思います。

おだんごさん、本当にありがとう。


お墓の話は家族にとって非常に大切なことだと思います。
いざという時のために事前にしっかりと話し合うのも良いかもしれせん。

長くなりましたが最後までお読みいただきありがとうございます。


それでは。

コッシー

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