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【Goodです】

先日のこと。
数か月前に退去された方の娘さんが施設を訪ねてくれた。

その入居者は穏やかで優しい女性の方だった。
猫が大好きで昔お家で飼われていた猫のお話を嬉しそうに話されていたことや、夕食後「お休みなさい。また明日」と声を掛ける僕にハニカミながら手を振ってくれていたことを今でも覚えている。


普段は全く怒らずニコニコされている方だったが、認知症の影響からか精神疾患の影響からか、施設内で猫の幻覚を見るようになった。


「飼っていた猫ちゃんが出て行ってしまったの!探しに行くから外に出して!」


普段の落ち着いているその方からは想像できないほど取り乱した様子で僕らに何度も訴えられた。
その度に「猫ちゃんはここにはいませんよ」「今は外出は出来ないんですよ」とさとした。

始めのうちはそれで納得されていたが、幻覚症状は日に日に酷くなっていき、僕らの説得に応じない日も増えていった。

そんな日が何日も続いたため娘さんと一緒に心療内科を受診され、状態が落ち着くまでの間入院することになった。
しばらく入院されたが、症状が安定することはなく認知症専門の他の入居施設へ転居されていった。

転居されて数日後、「元気でやっています」と娘さんから話を聞いたのがその方との最後の関りだった。


「先月の末でした。誤嚥性肺炎で救急搬送されてそのまま亡くなりました。急だったのでいろいろとバタバタしていましたが、ようやく落ち着いたのでこちらにもご挨拶にと思いまして伺いました」


退居された方のご家族の突然の訪問になんとなく予想はしていたが、実際に娘さんの口からその事実を聞くとやっぱり残念で寂しい気持ちになる。

それでもこうしてわざわざ訪ねてくれて伝えてくださることに本当に嬉しく思う。

退居された後は全く交流が無くなることが多い中で、こういったご家族の好意にはいつもありがたいなと思う。


娘さんと一緒にその方との思い出話をしばらく談笑した後だった。
「あ、そういえば…」と娘さんが一冊のノートを取り出した。


「実はこちらでお世話になっている頃、母は日記をつけていたんです」


何の変哲もない大学ノートをめくると、丁寧な字で日付とその日の感想のような一言がびっしりと書き記されていた。


〇月□日 デイサービスで工作をした。

×月△日 ヘルパーさん掃除をしてくれて部屋がすごく綺麗になった。Goodです

■月◇日 ○○さんの調子が悪そう。心配。

◎月▽日 ○○さんの元気なって良かった。Goodです


ヘルパーに感謝したり他の入居者の心配をしたりとあの方らしい優しい文章が綴られており、読んでいて心が温かくなった。
良い日だった時に使われている”Goodです”という文字がまた素敵で、そういう日はきっと気持ちよく眠れたんだろうなと想像したらホッコリした。


日記を読んでいるとふと気になる文章を見つけた。

〇月△日 コッシーさん休みだった。Goodです。

僕が休みでGood?

もしかして書き間違いか何かかと思ったが同じような表現の日記が何日か見られた。

◆月×日 コッシーさん休み。Goodです

◎月▲日 コッシーさんお休みみたい。Goodです

同席していたスタッフもこの文章に気付いた。


「コッシーさんが休みでGoodってどういう事なんですかね?」

「うーん…何だろうね」


スタッフからの質問にわざとしらばっくれていたけど、空気を読まない別のスタッフがすんなりと答えた。


「コッシーさんがいない日は嬉しいってことじゃないですか(笑)」


おそらく、いや間違いなくそういう事だと分かっていたけど、そこはあえて知らないふりをしていたことに気づいて欲しかった。


介護の仕事をしていると、どうしても入居者に対して厳しく接しないといけない時がある。
特に入居施設のようにその方の生活全てを支えていると本人の希望にそぐわない場面というのは出てきてしまう。

出来るだけ望まれる暮らしをして欲しいと願っているが、出来ることと出来ないことはやっぱりあるわけで、出来ないことは出来ないときちんと伝えなければならない。

「猫を探しに行きたい!」と言われるこの方の希望を僕は何度も何度も断った。
必死に訴えられるその方と口論になった日もあった。
時には厳しい口調になった日もあったかもしれない。

そんな僕をうとましく思うのは当然のことだ。

こういう憎まれ役を引き受けるのも責任者の仕事だと思うし、嫌われて仕方ないと思うけど、それでもこういうカタチで入居者の気持ちを知るのはやっぱり寂しいなと思った。


「猫ちゃん探しに行かせなかったからなぁ。嫌われて当たり前だよね。ははは」


僕の乾いた笑いが虚しく響いた時、娘さんが慌てて否定された。


「いや!違うんです!そうじゃないないんですよ!もっと日記を遡って読んでください」


娘さんはそう言ってペラペラと日記を何ページか前に戻した。


「ここです。見てください」


〇月〇日 コッシーさん今日もいる。あの人休んでいるのかな。
〇月◇日 コッシーさん今日も出勤。休みがないのかな。
〇月△日 コッシーさん今日はお休み!Goodです


娘さんが指さした日記には僕が毎日出勤していることに心配されてる様子が書かれていた。
そして僕がお休みを取れたことに対して”Goodです”と言ってくれていた。

嫌われていなかった安堵やまさかのGoodの意味、そしてやっぱりあの方はとても優しかったという事に涙が込み上げてきた。


「あれ~、もしかしてコッシーさん泣いてませんか~(笑)」

「な、泣いてないって!」


スタッフから茶化されて慌てて目頭を拭った。
その姿に娘さんやスタッフは笑った。

きっとこのやり取りをあの方は見ている気がした。そして「Goodです」と言いながら笑っている、そんな気がした。




#Goodです

#エッセイ

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