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【曲がり角を想像する】

お知り合いのあるnoterさんが施設入所される長男さんへの想いを記事にされていた。

30余年、障害を持つ長男さんと一緒に過ごされた中で入所を決められた。この決断に至るまでいろんな事があって、様々な想いがあって、相当悩んで答えを出されたのだと思う。

当たり前だがこの決断に対して僕ら外野が言える事なんて何もあるはずがなく、強いて言うなら長男さんやご家族のこの先の幸せを願うことだけだと思う。


僕はこの記事を読みながら頭の中で息子のことを思い浮かべた。

息子には知的障害がある。

今年9歳になる息子はまだ上手く会話をすることができない。また学力や運動面などで同世代の子供たちよりも遅れが見られる。

障害を持つと言っても当たり前だがこのnoterさんの長男さんと同じではないし、それは決して比べることではない。

だけど、僕はこの記事を読んで入所される長男さんに息子を重ね、そして息子の将来を想像した。


僕には人生の目標というか夢がある。

それは僕が死ぬ前に障害者の入居施設を作ることだ。自分が死んで後でも息子が安心して暮らせるように、信頼できる人たちに息子を託せるように、そのために自分の理想とする入居施設を作りたい、そんな目標を持っている。

自分が死んだ後のことは考えていたけど、自分が生きている間のことはあんまり考えたことはなかった。
極端に言うと自分が生きている間は何も起こらないと根拠もなく思っていた。


でもこの記事を読んでそうではないと思った。

この先、息子が施設に入所することもあるかもしれないし、ないかもしれない。息子にとって施設に入所することが最善ということもあると思う。

その時に僕や奥さんはどう想い、どう行動するんだろうか。


この方は今回の事を【曲がり角が訪れた】と表現されていた。

私にもこの春、曲がり角が訪れた。
アンとは違って、思い描いていた通りだけれど、
長男が施設入所する。34歳。34年目にして毎日が変わる。
曲がり角という節目である。
この先には、今は明るい光が見えるばかりだ。
穏やかに、さざめくように。
私も笑ってこの曲がり角の先へ歩いて行きたい。

この表現が本当に素敵だと思った。

人生には何度も曲がり角(節目)は訪れる。
曲がり角はきっと良い事だけではなく、時には自分にとって辛く悲しいこともあるのかもしれない。
でもそれを悲観的に捉えるのではなく、明るい光の先へ笑って歩いてく、こういう気持ちを持って角を曲がる方が絶対に楽しいと思う。


きっとこの先僕ら家族にもいくつか曲がり角が訪れると思う。それこそ息子の施設入所を考える日なんて曲がり角中の曲がり角だ。

でもその時、曲がり角を暗い気持ちで下を向いたまま曲がるのではなく、どんな曲がり角でも明るい未来を信じて真っすぐ先を見据えて笑顔で曲がっていきたいと、そんな風に思う。

そう思えたのはきっとこの方の記事を読めたからだと思う。

僕は運命論者ではないけれど、この記事は読むべくして読んだような気がしてならない。

もし神様がいて、そんな巡り合わせをしてくれたのなら僕は神に感謝するし、その神様は多分バクゼンさんじゃないのかなって思ったりしてる。






バクゼンさんの記事を読んで思ったことを書かせていただきました。

こんにちは、コッシーです。


バクゼンさん、記事を書いてくださって本当にありがとうございました。

この記事を読めたことは僕にとって、そして息子にとっても本当に意味のあることです。


長男さんの入所に際し様々な想いがあると思いますが、ニッコリ笑ってくれた長男さんが答えだと個人的には思います。


それではまた。

コッシー

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