見出し画像

【ばあちゃんと僕と金ちゃんヌードル】

僕が小学2年生の時だった。父親の両親、つまり僕にとってじいちゃんとばあちゃんと同居することになった。
当時中学生だった姉はばあちゃんたちに甘えることは少なかったが、もともと二人が大好きだった僕はそれはもうベタベタに甘えさせてもらった。
両親が共働きだったこともあって、学校から帰宅するとすぐにばあちゃんたちの部屋を訪ねてはお菓子をもらったりカップ麺を作ってもらったりしていた。
その頃、僕が1番好きだったカップ麵が金ちゃんヌードルだった。ばあちゃんはいつもたくさんの種類のカップ麵を用意してくれていたけど僕はよく金ちゃんヌードルを選んでいた。
いつだったか、金ちゃんヌードルのストックが無い日があった。他のカップ麺を食べれば済む話だけど、無いと余計に食べたくなるもので、金ちゃんヌードルがない苛立ちから僕はばあちゃんを責めた。

「なんで買っておいてくれないの!食べたかったのに!」

今考えると本当に子供だったなと反省している(まぁ子供だったけど)。その時のばあちゃんの悲しげな顔を今でも覚えている。
ただその日から金ちゃんヌードルは常にストックされるようになった。金ちゃんヌードルが食べたくても食べられない、なんてことは一度もなかった。


僕が高校生の時に残念ながらじいちゃんが亡くなった。ばあちゃんはとても落ち込んでいたけど、それでも僕に対しては明るく振る舞ってくれた。顔を合わせると「好きなの持っていきな」とカップ麺やお菓子などをたくさんくれた。昔よりもばあちゃんと話す機会は少なくなったけど、ばあちゃんの変わらぬ優しさに僕は嬉しく思っていた。

ただその頃からばあちゃんの物忘れが少しずつ進行してきた。
同じ物を何度も買ってしまったり、病院の受診日を忘れたりする頻度が徐々に多くなってきた。

「おふくろ、だんだんとボケてきたな」

心無い言葉でそんな風にばあちゃんのことを言う両親に腹が立ったりしたが、僕の知らないところで両親にはかなり負担がかかっていたようだった。徘徊や失禁を繰り返すばあちゃんの面倒をみるのは、共働きの両親には困難で、僕が大学卒業すると同時にばあちゃんは施設に入所することになった。


社会人として働き始めた僕は、時間を見つけてはばあちゃんに会いに行った。ばあちゃんは僕の顔を見ると「よう来たねぇ」とくしゃくしゃの笑顔を見せてくれた。
稀に僕のことを間違えて父親の名前で呼ぶこともあったが、すぐに気が付いて「ばあちゃんボケてしまったわ」と笑っていた。そんなばあちゃんに僕も「ばあちゃん、僕のことを忘れないでよ」と一緒になって笑った。

ばあちゃんが施設に入所して2年目のある夏の日だった。
その日仕事がお休みだった僕はばあちゃんの施設を訪ねた。顔なじみの職員さんに挨拶をしていつものようにばあちゃんの部屋の扉をノックする。
「ばあちゃん、元気だった?」と声をかけた僕の顔をばあちゃんは不思議そうにジッと見つめた。

「どちら様でしたかね?」

真顔でそう応えるばあちゃんに一瞬何を言っているのか分からなかった。どちら様?、まさかばあちゃんが僕を忘れることなんてないとすぐに気を取り直した。

「冗談やめてよ。僕だよ、僕。酷いなぁ」

動揺を悟られないようにわざとおどけてそう言った。でもばあちゃんから怪訝な表情は消えなかった。

「お部屋を間違えてないですかね?」「私はあなたのおばあちゃんじゃないですよ」

そう繰り返すばあちゃんに僕や職員さんは必死で説明をしたが、ばあちゃんが僕を思い出すことはなかった。そしてこの日ばあちゃんからくしゃくしゃの笑顔が見られることはなく、僕は施設を後にした。

ばあちゃんが僕を忘れてしまったのはその日だけかもしれないと、別の日に再び施設を訪ねたが、ばあちゃんが僕を思い出すことはなかった。職員さんから「そういう日もありますよ」と慰められたが、大好きだったばあちゃんに忘れられたことは僕にとって大きなショックだった。
認知症への理解が進んでいる今なら仕方のないことだと思えるが当時の僕はそう割り切ることができなかった。

「ばあちゃんは僕のことなんて忘れてしまったんだ。ばあちゃんにとって僕はもう赤の他人なんだ」

そんな風に思ってしまった僕は、その日を境にばあちゃんに会いに行くことをやめてしまった。


ばあちゃんに会わなくなり、僕がばあちゃんの様子を知るのは両親から話を聞く時くらいだった。どうやらばあちゃんの認知症は日増しに進んでいるみたいで、僕以外の家族のことも認識しているかは微妙なようだった。
ばあちゃんのそんな様子を聞く度に僕の足はますますばあちゃんから遠ざかった。

それから数年後のある日、ばあちゃんが救急搬送されたと母親から連絡をもらった。仕事の都合をつけて病院へ向かうとばあちゃんはもう意識の無い状態でベッドに寝ていた。家族の声掛けにも全く反応はなかった。
それが僕の見たばあちゃんの最期の姿だった。ばあちゃんはそのまま病院で息を引き取った。

ばあちゃんの葬儀はしめやかに執り行われた。親類や友人たち、みんなばあちゃんの死を涙を流して悲しんでいた。僕も大好きだったばあちゃんの死は本当にショックで悲しかったが、晩年のばあちゃんの姿を思うと安堵した気持ちも少なからずあった。
僕や家族のことを忘れていくばあちゃん。施設で問題行動を繰り返すばあちゃん。まるで僕の好きだったばあちゃんが日に日に壊れていくようで、僕はいたたまれない気持ちだった。
それはきっと僕だけではなく父や母も同じ気持ちだったと思う。優しかったばあちゃんを知っている人ほど認知症状が進むばあちゃんの姿に苦しんでいたと思う。


葬儀が無事に終わって幾日か経って、ばあちゃんの遺品を整理していた時だった。入所施設から引き取った荷物から段ボールいっぱいの金ちゃんヌードルが見つかった。
職員さんによると買い物に行く度に金ちゃんヌードルを購入していたとのことだった。決して自分で食べることはなく、金ちゃんヌードルはどんどんと溜まっていく一方で、何度も「部屋にあるよ」と言っても言う事を聞かずに購入しては段ボールを常にいっぱいにしていたようだった。

「やっぱりおばあちゃんボケちゃってたね」と両親は笑っていたが、僕はばあちゃんがなぜ金ちゃんヌードルを買うのかをはっきりと分かっていた。
ばあちゃんは僕が金ちゃんヌードルがなくてガッカリしないようにと、いつでも僕が金ちゃんヌードルを食べられるようにと、ずっと買ってくれていたに違いなかった。


ばあちゃんは僕のことを忘れてなんかいなかった。


段ボールいっぱいの金ちゃんヌードルを目にして僕は涙が止まらなかった。自分の犯した過ちとばあちゃんに対する申し訳なさ、そして二度とばあちゃんには会えない悲しみで胸が苦しくなった。
自分はなんてバカなのだと激しく後悔したのだった。


あれから金ちゃんヌードルを食べる度にばあちゃんのことを思い出す。優しいばあちゃんはきっと僕のことを怒ったりはしないだろう。「気にせんでええよ」とくしゃくしゃの顔で笑ってくれると思う。
だから、もし天国にいるばあちゃんに会えたなら、「ごめん」じゃなくて「ありがとう」と伝えたい。
ばあちゃんが買ってくれた金ちゃんヌードルが今でも大好きだよ、そんな風に伝えたいと思っている。



#創作大賞2024
#エッセイ部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?