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初診予約

週5労働と心身の苦しみを文章化して吐き出してみたら思いのほか共感(?)してもらえて気分が軽くなった。行動意欲が湧いてきたので、精神科の初診予約を取ってみた。

予約にはかなり決心が要った。身体の痛みと違って気分の落ち込みは数ヶ月耐えることができ、自然治癒もするので病院に行かなくていい気もしていた。それに私は鬱っぽい時でもそこそこ動け、バイトに行き、食欲が馬鹿みたいにあり、テレビを見て楽しく笑うことすらあるので、この程度で病気だと訴えるのは許されないと思っていた。たまに辛すぎて今すぐ効く薬をもらいたいと思うこともあったが、その一方自分が病人であることを認めるのにも抵抗があった。

考えが変わって病院に行く決心がついた一番のきっかけは、「神田橋語録」という精神科医の神田橋條治先生が躁鬱病(双極性障害Ⅱ型)について語った記録を読んだことだった。そこに書かれていた、「躁鬱病とは病気というより体質であり、季節や天候で悪くなる」という説明が腑に落ち、自分の正体が分かったような気になったのだった。詳しくは次に書くが、こういう体質が病気と認められているなら私も素直に医療と福祉の力を頼ろうと思えた。

「神田橋語録」から私が特に腑に落ちた箇所を抜き出してみる。

「人の顔色を見て気を使うといった平和指向型なので、他者との敵対関係には長くは耐えられません。もともと和を大切にする人なので、つい自分が我慢してしまうのです。我慢して自分が窮屈になるのがいけません。そういう環境とは相性が悪いのです。」

「こういう人たちが、不自由な状況に対して、『しっかりしなければ』と耐えていると、躁鬱の波が大きくなります。体質ですから、季節や天候(季節のサイクルや台風など)、お産や生理、そして人間関係のストレスで悪くなります。」

「のびのびするためには、今までやったことのないことに色々と手を出してみて、あれもこれもとちょっぴりかじるだけがよさそうです。」

波多腰診療クリニック「神田橋語録」

私はかつてこんなに人の心に寄り添う言説を見たことがなかった。神田橋先生の言葉はおおらかで、人間に対する優しさが滲み出ている。この世に自分の体質を理解してくれる人がいると思うと嬉しくなった(まだ診断されてもいないのだが。)特に「のびのびするためには、…あれもこれもとちょっぴりかじるだけがよさそうです」なんて画期的で、浮かれてしまった。普通新しいことを始めてすぐにやめたとき、呆れられることはあっても褒められることはない。だが神田橋先生は、躁鬱病の人はむしろそうした方が良いと言ってくれているように思える。飽き性を肯定してもらえた経験は初めてだった。他人が自分を肯定してくれて初めて自分で自分を肯定できるのだと思った。「のびのびする」というワードチョイスも素敵だ。窮屈にならない言葉遣いが読んでいて心地いい。

ちょっと浮かれすぎたかもしれない。他の精神科医による双極性障害の人の特徴を読んでみると、自分に当てはまらない事柄が多く(他人とのコミュニケーションが得意、仕事熱心とか書かれていた。1ミリも当たらない)、やはりお医者さんに診てもらわないことには何も分からない。でもなんだかワクワクする。


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