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遺伝子と養育環境のせいにしたい

少しでも難しいと感じたことは、やらずに諦めてしまうことが多い。
やってみたらできたという経験は確かにあるのに、経験が自信になっていない。

就活の話

エントリーできない

大学生のとき就活から早々に逃げた。
応募から採用までの引くほど長い選考フローを見て、ああこの会社は無理だと諦めた。かといって、面接2回だけで選考が終わるような企業はブラックなのではないかと疑い、結局、数社のエントリーボタンしか押せなかった。

なおエントリーボタンを押すというのは志望動機や自己PRなどの文章を用意さえすれば誰でもできるやつだ。私はその文章を書くことすらできずに何度か挫折した。

そして多くの企業はエントリー後に筆記試験を課す。当然私は勉強していなかったし、替え玉受験をやれるような器用さも人脈もなかったので落ちた。

求める人物像を演じられない

そもそも、求人に書いてある業務内容や求める人物像を見たとき、自分でもやれそうだと思えるものがなかった。

求人広告は、いかにその企業が意義のある仕事をやっていて、いかにその社員たちが誇りを持って働いているかをアピールするものだと思う。
私はその圧に負けた。

企業は学生に明るさ・素直さ・熱量を求めているらしかった。
最終面接では「御社が第一志望です!」と一瞬の迷いも見せずに即答しないと落ちると何かで見た。
最終面接に進んでいない人間が最終面接の話をするのは変だが、私は社会的な場面でのそういう白々しい演技が苦手だ。

企業側も別に根っからの明るい学生を求めている訳ではないだろうことは私もわかっている。
面接官は、学生が会社という場で明るく社交的に振る舞えるかどうかを見ており、学生が人事責任者を安心させるほどの熱量を見せることができれば合格なのだろう。

しかし、明るく演技するのに甚大なエネルギーを要する私にとって、まして面接という緊張する場面でそれを行うのはかなり難しいと感じる。場数を踏めば慣れるのかもしれないが、そんなに頑張ってまで働こうと思えなかった。

遺伝子と養育環境

こうして就職について考えると必ず自分の性格に目がいく。
これは現実逃避かもしれないが、あれもできないこれもできないと考えて踏ん張れない自分には何か精神的な不具合があるのではないかと思える。
性格は遺伝と環境で決まるといわれている。

振り返れば子供のころ、家庭内で会話が成り立っていなかった。
親には苦労をかけたし現在進行形で寄生させてもらっているものの、幼少期にやられた悪事や満たされなかった子供心を時折思い出す。
この人たちの血が混ざり合い体内を駆け巡り自分は生かされているのだ。

不安定な愛着

先日、精神科医の岡田尊司さんの著書『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』を読んだ。
親の性格や病気、私の行動と性格について思い当たる節がありまくり、さらには私の死に対する感じ方まで説明されていて軽く衝撃を受けた。

「愛着の安定性や様式は、……意識しないところで、知らずしらずその人の心理と行動を支配しているのである。」

岡田尊司『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』 (p.4)

自分の人生がなんだか不本意な感じがするのは、不安定な愛着と、遺伝子と養育環境のせいということにしたい。

でもそんなことを言って地団駄を踏んでもしようがないし、どうせなら楽しいことに専念したほうが気分が良い。
バイトして好きなことしている今の生き方も悪くない。

愛着という人格の根っこを安定させることができたら、私も人並みに立派になれるのではないかと、ふわふわした幻想を夢見る。

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