2022.10.29
たとえそれが普通程度のものでも、雑然としたゴミの中から見つけ出すとあたかもそれが特別価値のあるもののような気がしてしまう。例えば激安店のかわいい風俗嬢、たとえば古着屋で見つけた可愛い服、ゴミ置き場で見つけた振り子時計。私はこれを勝手に「掃き溜めの鶴効果」と呼んでいる。
さてこの掃き溜めの鶴効果だけで売り上げを保っている私であるが、ブックオフでうっかりしまむらの服を引き当てる程度には掃き溜めの鶴効果に騙されやすくもある。ドンキホーテで商品を見るのも宝探しみたいで好き。情報量というのは暴力だなぁと思う。
情報量の多さは色々なものを曖昧にする。その最たる例はインターネットだ。在りし時代は仮にでも設定されていた正しさ──例えば男は仕事をして女は家庭を守ること、結婚して子供を作ること──が今では破壊されて、インターネットと多様性のもとで正しい価値観は曖昧になってゆく。
では雑然と並べられたものに全てそれなりの価値があったら? 途端に選び出すのが難しくなるのだから不思議だ。具体的には今日行った草の祭典の話なんですけど。
都内のデカい公園に草がいっぱい並べられるイベントで、多肉植物の有名な生産者さんが出店するので行ってきた。その生産者さんは普段は九州に店を出しているので、関東勢がその人の株を手に入れられる機会は貴重だ。取り扱っている品種も珍しいものが多く、色鮮やかな寄せ植えを作ることでも有名な人である。私がそんなに詳しくないというのもあるのだが、知らない品種ばかりでワクワクしたし、適当に買ったら似たような品種が家に3本も揃ってしまった。カス。ちなみに「カス」という品種もあったので買ってきました。カス同士仲良くやろうな。
まぁその生産者さんは根を全部カットして売るので1万6千円分買って何本が無事に発根して育つか分からないんですが……全然いい。可愛いから。結局掃き溜めから買おうと宝物庫から買おうと可愛ければなんでもいいんだよな〜〜〜〜〜!おわり!
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