2022.11.14

 以前の日記で自分に比較癖があると書いた。あれは嘘だ。私にある(あった?)のは比較癖ではなく、見下し癖である。

 これは言い訳なんですけど、母親の教育方針が割とんなかんじだったのだ。母親が絶対的なかんじの家だったので、私の価値観も自ずとそんなかんじになる。人の上に立ち、下しなさいというのが我が家の教育方針だった。家訓(?)は「人を見たら泥棒と思え」だった。最悪で草。でも実際小・中学校くらいまではその見下しが通ってしまったのだから仕方ない。これはあるあるだと思うんだけど、中学校あたりまでは何をやっても80点は出せるし物によっては90点も出せるんですよね。ちなみに私は高校に上がった時、今までやってきた見下しが全部自分に跳ね返ってきてメンタルを粉砕され、そのメンタルの修理は今も終わってません。自業自得だけど早く寛解してくれ。

 ところで我が家の昔話に戻るのだが、幼稚園から小学校卒業までありえない量の習い事をさせられていた。どのくらい有り得ないかと言うと、何も習い事のない曜日が存在した時期を挙げた方が早い。中学校でちょっと強い吹奏楽部に入り、周りはみんな忙しい忙しいと言っていたが、私は部活と塾とピアノだけやっていればいいんだから随分楽になったなと思っていた覚えがある。まぁ部活の話はどうでも良い。とにかく数々の習い事をさせられてきた中で80点どころか50点すら出せず、絶望的に向いていなかったのがダンスだった。

 ダンスそのものも向いていなかったし、ダンス教室に通っている人たちとも馴染めなかった。彼女らは基本的に陽キャだし、普通の小学生らしく流行のテレビを見たり漫画を読んだりして育っていたので、小説しか読まない私などとは共通の話題がマジで1つもなかった。ダンスの技術と社会適合度、2方向から見下し癖込みの自尊心をボコボコにされ、母親に頼みこみ1年くらいで辞めさせてもらった。

 向き不向きでは言えばダンスは向いていない。だがお仕事でダンス(盆踊り)をするようになり、どうにか見られるものにしようと試行錯誤したり、憧れの人が綺麗に踊ったりするのを見るうちに、なんだか踊るのが楽しくなってしまった。なので少し習ってみることにした。それが今日だったってワケ。

 高校で見下しも比較もボコボコに粉砕されたので、今ではどちらも嫌いだし絶対にやらないように気をつけている。もともと相対的な価値より絶対的な価値を重視するのは得意だし……(流行を追ったりすることが幼少期に叶わなったため、自分一人で勝手に幸せになるしかなかったので)。そういうかんじで絶対的な見方、つまり周りよりどうとかではなく自分が楽しく上達することだけを考えて、9年越しにダンスを習ったのである。

 は?楽しい(キレ気味)

 めちゃめちゃ楽しいやんけ。何だこれ。比較されないってだけでこんなに楽しいものなのか。やっぱ比較って悪ね(安易な感想)。

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