2022.11.04
救済とは何か。
鳴き声のように救済救済と言っている私だが、ある時フォロワーが「何をもって救済とするのか」みたいな空リプを飛ばしてくれてから、ずっとそれについて考えている。何がどうなれば救済なのか。価値観が正しい方向に戻るきっかけを与えること? その正否は誰が決めるんですかね。
今日、色々あって客と店外で会ってしまった。もちろん偶然である。まぁ私の警戒が足りなかったのもある。会ってしまったものは仕方ないので少し一緒に歩いたりするうちに色々な話をして、客は「源氏名ちゃんに救われたんだよね」と言った。そして、客にとってどういう時期に私に出会って、客にとっての私がどういう存在なのかを聞いた。知らない、全然知らない。私はおまえを救った覚えなどない。普通に仕事してただけ。だからそんなにまっすぐな好意を向けられても困ります。好意が金に換わる様をダイレクトに実感してダメージを受ける、2マス戻る。
そういえば以前も救われたと言われたことがある。今は閉鎖しているのだがブログを書いていたことがあって、そのコメントでのことだった。大学1年生の、1番好き勝手やっていた時期──パパ活してレズビアンSM風俗に行ってガールズバーやピンサロの体験入店に行ってメイド喫茶に通う、そんな様子を誰かに見て欲しく、そんな中で考えたことを誰かに聞いて欲しく始めたブログだった。コメントの人は、「家庭環境やADHDといった境遇が自分とよく似ていた」「だから自分の人生の別の可能性を見ているようで救われた」と書いていた。
何が救いなのか。生きようと思うきっかけを与えること? 生きていくための力を得ること? 「最悪死ねばいい」も「最悪の場合には死んでもいいので今は生きる」という種類の救いだったし。あるいは価値観が変われば「変わった先の価値観が正しいものだ」と思い整合性を取るために「救われた」と思うものなのかもしれない。宗教に入信する時みたいな? まぁ何でもええんやけどな。
周りの人間や推しに救われて救われて何とか生きてきた人生である。何も返せないから助けようとするなと喚いていたこともあるし、何も返せていないから自分も何かを救わなければと躍起になっていたこともある。でも適当に生きていたらどうやら人を救っていて本当に難しいな。救いたい人間を救いたいタイミングで救う手段はやっぱり私には金しか思いつかない。愚かだと思ってもらって構わないけれど、私は言葉を上手く扱えないのだ。
人は1人で勝手に助かるだけ。忍野メメもそう言ったし、実際その通りだと思う。でも、どうしてもこの人を今救いたいって時あるじゃん。人を救おうなんて傲慢が云々みたいな話はもうしたくない。そしてその手段を、金以外にも持っていたいと思う。難しいね。解散。
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