趣味と救済 創刊号-救済は創れる!
今日も140字の活字を読み流しつつ書けねぇ書けねぇと宣う皆さん、ご機嫌よう。ツイ廃日本代表こと木染維月です。
さて私こと木染維月は、創作をする人間です。
曲を作ったり何だりしたこともありますが、1番長く続いているのは小説を書くことです。小説を書き始めてからかれこれ10年ほどが経ちます。これより長続きしている趣味は読書くらいのもので、こちらは12年です。今はさすがにそんな体力はないのですが、年に360冊以上読み10万字以上書くという、人と会うのと活字を見るののどちらが長いか怪しいような生活をしていたこともあります。
そんな私が断言しましょう。
小説なんか書いている人間は1人残らず社会不適合者です。あとオタク。
これは結構マジな話で、例外はいわゆる「なろう系」を筆頭にしたファンタジー書きくらいのものです。(ファンタジー書きにも社不はいるが、当社比少なめです。) 字書きコミュニティに繋がりを持って3年ほどですが、その間に自殺未遂をした人、精神を患って会社をやめた人、不登校からの通信制という道を辿った人、薬物に手を出した人……そうでなくとも、周りはメンクリ通いか発達障害しかいません。かく言う私もガッツリ社不だしADHD躁鬱パニック障害不眠の満漢全席です。大丈夫そ?
まぁリアルが充実してたらわざわざ小説なんて書かないしな……。
そういうわけなのでTLを眺めると音楽の趣味もなんだか似たり寄ったりの層も多くて、だいたいは我々みたいな生きづら人間の傷に寄り添ってくれたり癒してくれたりする類のアレです。私はそれらを“救済ソング”と呼んでいます。
そう、救済なのです。
救済が何かと聞かれると少し説明が難しい。私の中でもまだ整理がついていないからです。しかし、誰しも「あの作品に救われた」「あの曲に救われた」という経験があるはず。
そして私が作品を書く時の大きなテーマの1つが「救済」なのです。
1つの作品で多くの層の救済になることは不可能であることは大前提として、特定の層の救済になろうとした時、何が救済になるかを考える必要があります。自分にとって救済だった作品、趣味、人間、経験、そういったものから、救済になり得る物語を書くためにどのような要素が必要かを整理して考えていく、要は「救済とは何か」を考えていくのが当ブログの狙いです。
先日までおっさんから金を巻き上げたりしょーもねぇ日記をたれながしていたカスのことは一旦忘れていただきたく、以前のブログ(人間嫌いのパパ活日記参照)とは媒体・ナンバリングを分けて書いていくこととします。それまでの間、創作と救済について考える当ブログにお付き合いいただければ幸いです。
それではまた。
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