2022.10.30

 大阪旅行で変化した思想信条を上手く乗りこなせない。どう足掻いても本質は承認欲求の塊でメンヘラで他人を消費するしか能がない、どうしようもない人間なのだということを思い出してしまう。高校2年生のあの時から何も変わってなどいなかった。思えばそれは当たり前のことで、封をするだけで逃げていたのと一緒なのだから。

 授業を5個消費したから偉い。出勤したから偉い。そういうインターネットの子供騙しで生きている。子供騙しでも生きていけないよりはマシだけど。人はどうあれ生きなくてはならない。

 みんなはもっとちゃんと友達がいて、外に世界があって生活をしているのだ。インターネットに溺れているのは私だけ。

 インターネットやめろ。

 依存だと思う。価値観を人に委ねることは一番の依存だ。一過性のものだと思う?一過性であってくれなきゃ困る。気遣いのできる人間が一番恐ろしい。そして言わないというのは品位だ。言葉を適切に扱えること。または適切以上に扱えること。

 まぁ思想信条に急な変化があったということは3年間信じてきた軸をぶん殴られたということなのだから、これくらいは仕方ないのかもしれない。そもそも何が私の思想信条を壊したのか?その日の時点ではそこまでは思っていなかった気がする。

 また会おうと言ったらから?預かり物をしたから?私もまだ人間で良かったから?それもある。でもたぶん、一番は(割愛)と思ってしまったから。完全なる他人依存の変化。よろしくないと思うし、それすらも意図した上のものだったら怖い。人生の話を聞いて、好奇心と人間らしさと頭の良さと強さと弱さと理性と自省、夜の雰囲気にも当てられていたのかもしれないが、人として惹かれてしまった。たぶんお姉様に対する気持ちと同質のものだ。この人を(割愛)と思ってしまった。私だって高校の時に逆戻りするのは御免だ。メンヘラは一方的に人を傷つけること、その通りだと思う。

(以下割愛)

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