2023.05.26

 文フリで買った、先日引退した踊り子さんのエッセイ本を読んだ。
 素敵なことばかりではない生活で何とか素敵なことを見つけて、拾って、綴っている、そんな人なのだと思った。優しい文体で、うっかりしていたら移ってしまいそうな文体だった。たぶん今日の日記は多少なりともその人の文体が映っている。きっとこの人は自分のために生きることができる人。私も昔はそうだった。
 2月のことがずっと頭から離れないでいる。暇さえあれば2月のことを考えている。たぶん当分このままなのだろうけど、エッセイ本を読んだら少しだけ自分のこれからのことに意識が向いて、エアリアルシルクの教室を予約した。カレンダーを見たら1ヶ月以上ぶりだった。自殺未遂をした時に下手くそな看護師さんに点滴を刺されたらしくて、腕が痛くてシルクに行けなかったのだ。最近やっとまっすぐ腕を伸ばせるようになったので、まだ多少痛むけど思い切ってシルクに行くことにした。返ってきたメールは「今週は休講です」だった。ショックだ。
 昨日に引き続いて自分の小説を読み返したり、ちょっと書き足したりしている。活字に触れていれば私は独りでも大丈夫だ。歌舞伎町文学賞の〆切が迫っている。自分も歌舞伎町文学賞に出す、と友人が言うから「一緒に頑張ろうね」と送ったら「一緒には頑張らない」「小説はひとりぼっちのものなので」と返ってきたのを思い出す。確かにそうだな、と私は思った。小説はこの世でいちばんひとりぼっちのものだ。人間が好きなのに人間と上手くやれない私が内面に作った箱庭で、人間関係っぽいものを書いて遊んでいる。
 いつの時代、どこの宗教の話か忘れたが、神は「他者を呼び求める者」だという話が好きだ。
 神は他者を愛するため、他者を呼び求めた。その結果、自分の姿を模した生き物──つまり人間が、生み出された。人間は必ずしも神を愛さなかったけれど、神はそれでも良かった。選択の自由があって、自分を嫌ったり憎んだりしうる存在からの愛こそが、真実の愛だと考えたからだ。
 他者を愛したいが故に人を生み、世界を作ってしまった孤独で愚かな神様。それは私たちの姿に重なる。現実で関わるべき人間とは、どうしてか上手くやれなかった。上手く愛せなかった。だから世界を──創作物と名のついた自分だけの箱庭を、作ってしまった。
愚かなことだけど、私が生み出してしまった世界を、他の私みたいな誰かも愛したら──それは、「救済」と名がつくだろう。

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