2022.11.27

 名前には過去や恥がついて回ると思っている。名前を変えたからといってその全てが帳消しになるとは思わないが、似たようなことはできる。そういう意味で、「木染維月」は本名ちゃんとも源氏名ちゃんとも違う、特別な自我である。本体であると言ってもいい。

 本名ちゃんには不義理や不道徳がある。好ましくない過去や家庭の諸々がある。恥がある。まぁ木染維月にもないわけではないんですけど。

 バカみたいな量の習い事や学習塾とお勉強の強制は何一つ身にならなかった。いわゆるFランの大学に進学した挙句にそれすら中退しても、じゃああの日々は何だったんだと恨まずにいられるのは、それらが「木染維月」が生まれるより前の出来事だからだ。不義理も不道徳も家庭の諸々も、木染維月に起こったことではないから一歩引いて見ることができる。恐らく本名ちゃんの自己肯定感はカスみたいなものだろうが、木染維月は私がある程度好ましいように生きているので、自己肯定感とは違うかもしれないが、それに似た開き直りのようなものを持って生きていけている。

 木染維月は自由なのだ。何にも縛られず自分勝手で奔放だ。高校1年生の時に出来上がった、私の愛しい第二の人生。特別で大切な自我だから嘘は極力言わないし、木染維月として関わりのある人たちを大切にしたいのだ。ちなみに源氏名ちゃんは、木染維月がお仕事として演じているイメージでやっている。木染維月というフォルダの中にあるファイルの1つみたいな。

 もしかしたら私の中にいるメンヘラ破壊神は、本名ちゃんの部分なのかもしれないね。おしまい。

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