2023.01.02

 推しの活動休止が近々解けそうで嬉しい。というわけで今日はコンテンツについて書きます。

 この仕事を始めてからというもの、生身の人間をコンテンツとすることについて解像度が上がった気がする。この仕事を始めて良かったことの1つである。バンドでもVTuberでも歌い手でも何でも、誰もが平気で生身の人間をコンテンツとし、またコンテンツになれる時代だ。これは結構グロテスクなことだと思う。

 コンテンツ化、つまりは偶像化である。中国語では偶像と書いてアイドルを意味するくらいだし。

 自己表現としての偶像化はある種の救済だ。理想的な自分の像を打ち立てて、それを肯定するファンが着く。理想的な第二の人生、理想的な人生のやり直しと自己肯定。歪な部分や社会に不適合な部分もコンテンツとしてなら魅力になるだろう。だから社不は表現者になれとあれほど……(言ってない)。

 しかし中身が生きた人間である以上、どうしても変化というものがある。その変化をコンテンツとして出すかどうかは本人次第だろうが、ファンは前の方が好きだったとか最近変わったとか好き勝手なことを言うだろう。じゃあ離れればいいじゃんと思うが、なかなかどうしてそう簡単なことでもない。偶像は崇拝対象だから、ファンも信仰を簡単に捨てることはできないのだ。こうして中の人が表現したいものとコンテンツとの間に乖離が生まれる。

 コンテンツを受け取る側が勝手に打ち立てた偶像で生身の人間の意思を否定することは、場合によっては人殺しと何ら変わらない。ですから田貫も2chも爆サイもろくなところじゃないですね。Amazonレビューよろしく好き勝手言いよって。

 ちなみにこれって恋愛でも割と似たようなことが起こりがちです。これが1番よろしくなくて、片方がコンテンツとしてやっているならまださておき、生身の人間同士の関係で相手を勝手に偶像にするような真似は無礼千万であると言っていい。恋愛じゃなかったとしても同じです。ので私は割と気をつけるようにしている。

 源氏名ちゃんなんて存在しねぇんだよバーーーーーーーーーーーーーカ、二度と爆サイに書き込みをするな、解散!

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