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USELESS MEMORANDUM Christian Dior Monsieur③「フランス編」

始めに告白しておくと
実はChristian Dior Monsieurにとって
フランスという国は根拠地にも関わらず
最初から然程重要な市場ではありませんでした。

何故ならラグジュアリーブランドにとって
プレタポルテ〜ライセンスの事業は当初
戦後、赤字まみれだったオートクチュールの
売り上げ補填と事業継続を目的として
主に手垢の付いてない新興国に向けたものだったからです。(目的は香水事業も同様ですね)

Christian Dior Monsieurも
レディースプレタポルテ、キッズラインに続く
第三の矢として誕生しました。

写真はいずれも1971年AWコレクション

フランスは作品発表の場
実売はアメリカそして日本でした。

しかしそんなフランスの
しかも映画界のスターの中に
誕生したばかりのChristian Dior Monsieurの
熱狂的なフォロワーが存在しました。

それは…

はい。

Alain Delonです。

俳優のAlain Delonは
1972年公開の映画「リスボン特急」にて
Diorから提供された衣装を着用。
(Christian Dior Monsieurのスタートは1970年)


その後1974年公開の
「個人生活」でも着用します。


彼はChristian Dior Monsieurの衣装が
大層お気に入りだったようで
後年、出演した映画
「チェイサー」(1977年公開)の監督
Georges Lautnerが同作のインタビューで
「彼(Alain Delon)に
お気に入りのDiorの衣装の事を忘れさせるのは
容易ではなかった」
と証言する程。
因みにその「チェイサー」で
Alain Delonが着用したのは
畢竟M-65フィールドジャケットでした。

何故Alain DelonがChristian Dior Monsieurに
拘ったのかは本人の言葉を確認出来ない為
不明ですが
(Alain Delonは1971年時点で
日本のブランドD'urbanのイメージキャラクターとしてCM出演していたので契約の関係上
公言出来なかったのではと推察しています)
Jean-Pierre MelvilleやJean Cocteauから
Diorとの関わりが窺えます。

前述の「リスボン特急」の監督が
Jean-Pierre Melvilleで
彼は「サムライ」「仁義」に於いてもAlain Delonと仕事をしており
Alain Delonに大きな影響を与えました。
そのJean-Pierre Melvilleが監督した
「恐るべき子供たち」(1950年)は
Jean Cocteauが原作。
そして衣装を提供したのはJean Cocteauの
友人Christian Diorでした。

そんなAlain Delonが2009年
Christian Diorの香水 EAU SAUVAGEの広告に
登場。

更に
2016年夏には息子のAlain-Fabien Delonも
Dior Hommeの広告に登場。
「リスボン特急」から40余年
親子二代でDiorの顔となったのでした。

フランス企画の話題のつもりが
完全にAlain Delonの
話になってしまいましたね。

肝心の本国企画の製品に関しては
製造元の情報などがあまり無く
まだまだ調査中なのですが
現時点で判明している
ファクトリーや生地メーカーを紹介します。
年代によるかもですが
結構イタリア製も多いですね。

GFT(Gruppo Finanziario Tessile)
1930年
イタリア、トリノに創業したファクトリー。
1978年の
Valentinoのプレタポルテ立ち上げに協力し
Armani、Ungaroなども手掛けたそうです。
2003年に廃業した様ですが長年に渡り
ヨーロッパのメンズモードを支えました。

此方は生地メーカーの
Fratelli Tallia Di Delfino
1903年
イタリア、ビエラ地方に創業したミルです。
「ErmenegIildo Zegna」「Loro Piana」と共に
イタリアを代表するミルとして知られています。

Christian Dior Monsieur
1985年SSの広告

また1985年のSSコレクションでは
同地方のGuabelloの生地を採用していた様です。Guabelloは1815年創業の老舗で
KitonやBrioniのパートナーとして
共同で生地を企画開発しているミルです。

今後も更に新しい発見があれば
まとまった折に追加情報をnoteを上げていきたいと思います

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