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パパ育休生活2年目


2020年の抱負 とことん家族を極める!一年間にすると決めました。そこで、2019年4月~2020年3月で育休を終えるつもりだったのですが、2021年3月まで育休を延長することにしました。

私自身の体験から子育てや家庭マネジメントの本質を引き続き考えていきます。そして、今年はもっと発信していきます。

生後9か月の次男は、ここ一週間でハイハイやつかまり立ちを憶えました。
さきほど、zoomミーティングのためリビングから別部屋へ移動したところ、
次男は引き戸を開けて私のあとをついてきました。

日々、いろいろなことができるようになる瞬間に立ち会えるしあわせを感じています。

そういえばと、次男ができるようになった瞬間のことひとつひとつをを思い返してみたのですが、
「歯が生えたのいつだったかなあ・・・」
といった感じで、感動は覚えているのですがいつだったかすでに思い出せません(たしか生後7か月目だったとは思います・・・)。

では長男のことはどうかと、0歳時のことを思い返してみたのですが、感動すら忘れてきています・・・。

で、長男が生まれた時に書いた教室コラムを読み直してみました。記憶がそのときの感情とともに鮮明に蘇ってきます。
※ページ最後に、当時書いたコラムをそのまま転載します。

次男出産時は、出産直前から育休を取得していたため、コラムを書く必要がなく書き残しませんでした。もちろん鮮明な記憶はもはや残っていません。
書き残すことって大切だなあと思いました。

「自己表現は他者に影響を与える。人の心の糧になる。」
先日、田口ランディーさんから教わりました。

私が感じていることを表現することで、子育てや育休って楽しいなと思える人や、子育てに関わっていこうと思う人がひとりでも増えたら嬉しいなあと思います。みんなでわいわい子育てしたいなあと思っています。

『母の偉大さ』

「おしっこ!」。生まれて早々、感動シーンも束の間に我が息子は助産師さんにおしっこをひっかけたのでした。こんな息子の不祥事すら「さすが我が息子!元気が一番!」と自慢に思えてしまう私はいったいこの先どんな親バカぶりを発揮していくのか。少々心配ではありますが、「親が自慢に思わずに誰が自慢に思うのか」。この先、息子がどのように成長していくのかはわかりませんが、一生この子を自慢に思って育てていきたいと思います。

この自慢の息子はなんとも親孝行に生まれてきたのでした。予定日は〇月〇日。「授業がはじまると立ち会えなくなるから、〇月△日に陣痛が始まって、〇月◇日に生まれてくれるといいね。」などと妻と話をしていたら、本当にその通りに生まれてきました。

出産前日、散歩をすると生まれると聞き、午前中は妻と近所を散歩しました。「まだ生まれる気がしないねー。」などとのん気な私に、「(出産を)他人事だと思ってるでしょ?」と妻がグサリ。失言を挽回するために、午後は近くのショッピングモールに子ども服を見にいきました。そして、妻のお腹が良い感じに張ってきたため帰宅。20時頃、「陣痛が来たかも。」と妻。急に、のん気な私もドキドキしはじめてきました。妻の背中を時折さすりながら、陣痛感覚を計ること2時間。定期的に痛みがきているので、これは陣痛に違いないと確信しました。22時、病院に電話、指示のまま、23時30分に病院へ行きました。破水がまだだったことと、陣痛が弱いことから、「出産は明日の午後、もしかしたら、このまま引いてしまうかもしれない。いったん家に帰りますか?」と看護婦さんに言われました。しかし、初産であるため引いたら引いたでかまわないと安心安全をとって、そのまま入院することに決めました。入院して、さらに私にドキドキが襲ってきました。翌日昼までの食料を買いにひとりコンビニへ向かった私は、あれもこれもと約5000円分も買い込んで、「そんなにいつ食べるの?」と病室の妻に冷ややかな視線を送られることになります。私は妻のために良かれと思ってデザートやらなんやらたくさん買いこんだのですが、たしかにこんな状況で食べられるわけがありません。「平常心。」と心の中で唱えました。

入院直後から、妻は激しく痛み出し2~3分おきに陣痛がきました。途中、妻は痛みから息を吸いすぎてしまい嘔吐しました。これからこんなものではない陣痛が来て、出産時の痛みはさらに耐え難いものだということを考えると、ただただ傍で背中や腰をさすることしかできない自分の無力さばかりを感じて一晩を過ごしました。

翌朝6時、破水をして陣痛もより激しくなってきました。妻はあまりの痛さに私の手を強く握り締めます。「ふう~声出しちゃいけないんだった。でも出ちゃう。」と妻。「上手。そうそう。しんどいね~。」「お腹へこませて。」「顔の力抜こうか。お腹だけに力いれて。」と助産師のTさん。こんな状況にも関わらず、褒めて、共感して、励まして、具体的な指示を出すTさんの姿に、「教室と一緒だ!」なんて感動をしている自分に罪悪感と、平静でいる自分に安心感を感じつつ、対応が素晴らしいTさんが担当で幾分か妻は救われていると思いました。

8時、ようやく子宮口が8㎝~9㎝まで開いてきました。妻は会話ができないほど苦しみはじめます。「いったいいつまで続くのだろう。できることなら代わってあげたい。」私にはもう腰をさすることと、祈ることしかできません。

10時、いよいよその時が迫ってきました。私は前掛けをするようにいわれました。「(妻の)呼吸がすごい上手だから、赤ちゃん元気!」「膜まで見えて来た。もうすぐ頭が見えますからね~。」「進んでいますよ。髪の毛が見えて来た!」Tさんが妻を励まします。

ところが、順調に進んでいると思っていた矢先、ベテランの助産師さん(以下、湯婆婆)が登場します。湯婆婆は登場するなり、妻のお腹に全体重を乗せて、両手で圧迫しました。悶絶の表情の妻。「腹圧が弱いわね。」と湯婆婆。不安が襲ってきます。湯婆婆はさらにお腹を圧迫します。そして、一言。「赤ちゃんが弱っちゃう。切らなきゃね。」私の不安は一気に大きく膨らみます。私が動揺しては妻が不安になる。私は平静を装っていましたが、内心は今まで味わったことがないくらいに心臓がバクバクでした。妻は湯婆婆の声が聞こえているのかいないのか、いきむことにただただ必死で様子に変わりはありません。(のちに妻に聞いたら、聞こえていたそうです。私が「不安にならなかった?」と聞くと、「全然。」と妻。母は本当に強い。)
湯婆婆はまったく慌てることなく、お腹を圧迫し続けます。そして、医者を呼んできて、医者に指示を出します。「切らなきゃだめかな~?」と頼りない医者に対し、「ダメです。はやく切ってください。」とビシッと指示を出す湯婆婆。この湯婆婆の風格に私はもう「湯婆婆のいう通りにしてください」と心から思っていました。

そして、湯婆婆登場から10分もかからずに息子は無事に産声を上げました。私が目頭から熱いものをこみあげている傍ら、息子の息子からも熱いものが…。冒頭の湯婆婆の「おしっこ!」という声は、産声CDに録音されています。息子の元気の証。一生物の家宝ができました。

出産後、妻から、「いてくれてよかった。ひとりじゃ耐えられなかった。」と言われました。自分の無力さを感じていた私は少し救われました。でも、きっとこれからもそうなんだと思います。母乳は母親しかあげることができません。妻を寝かせてあげたいと思っても、母乳だけは妻が与え続けなければいけません。そして、母乳を卒業しても、子どもの根本的な心の支えはずっと母親であり続けます。だから、私は、せめて自分ができること、今であれば、母乳以外の夜泣き対応、オムツ替え、粉ミルク、お風呂、家事全般等々、妻をサポートしています。この先も続けられるように、ここに宣誓します!

今回、息子が生まれて、子どもたちの支えの本質である皆様を、教室長としてサポートしていきたいと改めて思いました。Tさんのように、時に湯婆婆のように教育面から皆様の力となっていきたいと思います。「先生がいてくれてよかった。」と思っていただけるように、皆様に寄り添いながら、一緒に子どもたちの幸せを考えていきます。今後ともよろしくお願いします。

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