JR福知山線脱線事故から19年
今日であの事故から19年。
私は、事故の直接的な被害者ではありませんが、
当時の衝撃的な映像は今でも忘れることはありません。
事故から十数年経った頃、勤務先が伊丹にありましたので
私は事故があった沿線沿いにしばらく住んでいました。
休日大阪へ電車で向かう際
塚口 尼崎間で大きなカーブがあります。
そこに慰霊碑があります。
電車に乗っていながらも見えますので、
この場所で、大きな事故があってたくさんの方がいろいろな思いを抱えているんだろうなと思うと
その場所を通り過ぎる時、居た堪れないような、そんな気持ちになっていました。
当時の通信記録や様子などを改めて拝見しますと
胸が非常に苦しくなります。
当事者にしか分からない思いがあることも分かっているつもりです。
ですが、私たちも事故のことを思うと苦しくて
事故を忘れてはいけない、風化させてはいけない、という言葉だけでは、安易すぎるような気がするのです。
2度とこのようなことが起こってはならない。
もちろんその通りです。
なぜこのような事故(人災)が起こったのか、そしてその事故を見た私たちはどのように生きていかなければならないのか。
それをひとりひとりが考えて実行していくことが、
私たちのこれからの使命だと思います。
それが、忘れてはいけない、ということ。
まずは被害に遭われた方々のご冥福を心よりお祈りします。
何でもない1日だったかもしれない。
特別な1日だったかもしれない。
友人との待ち合わせもあったでしょう。
様々な尊い命が、一瞬にして奪われてしまったあの日。
そして、奇跡的に一命を取り留めた方々も
癒えることのない苦しみ、悲しみ
そしてそのまたご家族、ご友人
誰一人として幸せにならないこの悲しい事故
時計を巻き戻せるのなら巻き戻したい
何も起きてないあの頃へ
今、私たちは、何ができるだろうか。
※更新は不定期です。
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