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カナダ逃亡記#18:カナダ在留をかけた最後の戦い

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プラー P.R.R.A. (Pre -removal Risk Assessment)

2013年5月、その長く寒い冬が終わると、トロントの木々や草花は一斉に柔らかい緑に被われ、鳥のさえずりが街中を包んだ。そんな頃、我が家をとりまく状況は大きく変化しようとしていた。

僕らの生活の根幹となっていた「難民申請」はいまや完全に却下され、その知らせが僕らのもとに封書で届いた。いずれはそれが届く事はわかっていたが、いざ届いてみるとなんとも心細く寂しい。できたらそんな知らせは来ないで欲しかった。後ろ盾になっていたものがなくなり、荒野に突き放された感じだ。そしてそれから程なくして、今度はRemoval Order(国外退去令)が届いた。

カナダ政府からの封書はベージュ色で、上すみに黒単色で国章や国旗が印刷されている。これがポストに入っているのを見るたびに胸をギュっとつかまれるような思いがした。ある時はワクワクしながら急いで開封して、またある時はバッドニュースなのがわかっているから、すぐには開封できない。こんなことに一喜一憂していられない!、と毎回思わされた。

僕らは本来ならば、ここで速やかにカナダ国外へ退去しなくてはならなかった。

しかしカナダは、この期に及んでもまだ不法滞在の外国人をサポートするシステムがある。PRRA(プラー/Pre-removal Risk Assessment)だ。これはカナダから国外追放された者が自国で危険な目にあうことが予想される場合、人道的配慮によってカナダに残ることが認められる、というシステムだ。実際、カナダには外国から来た多くのクリミナル(climinal:犯罪者/政治犯含む)がいて、自国に帰れば死刑になったりするので、カナダに留まっているものがいる。プラーとはそんな彼らのカナダ在留の是非を決める査定/判定だ。

リーガル・エイド

これまで、僕らの難民申請のための弁護士費用は、「リーガル・エイド」がまかなっていた。リーガル・エイドとは、裁判費用を払えない人々を救う非営利組織のことで、裁判費用などを出してくれる。金銭的に救ってくれる。しかし誰でも救うというわけではない。勝ち目のないと判断した裁判は、基本的に救済しない。幸い僕らのケースは「勝つかも知れない」と判断され、弁護の費用や山のような日本語資料の翻訳代など、全て裁判にかかる費用が払われていた。

だが、その「救い」もここまで。
今度のプラー裁判を行うのに、新たに弁護士をたてなくてはならなかった。

プラ―裁判に挑むには、短期間で新たに資料を作成しなくてはならない。その裁判で勝つには、今までとは別のアプローチで、これまで以上の裁判資料を用意しなくてはならない。もうすでに出尽くしたところから。

しかしそれでも、あるリーガルエイドオフィスが私たちの弁護を受けてくれるという事で、話がまとまろうとしていた。

そんな時こそ旅の計画

時は7月、子供たちの学校はとっくに夏休みに入っていて、毎日のようにプールだ、スケートだ、サッカーだ、と予定が入っていた。そしてちょうどこの頃、子供達のスケジュールがぽっかり空いた週があったので、二泊ほどで家族旅行に行く計画を練っていた。そのことをリーガルエイドの担当者に伝えた。

「あなたたち、本当にこんな時に旅行に行くの?」

それはおよしなさい、まったくあきれたAsianねえ、あなた。リーガルエイドの担当者は態度でそのようにものを言う。あきれた表情を隠さなかった。

確かに、リーガルエイドに働いてもらう最中に僕らは旅行だなんて、それは当事者意識が低いかもしれない。
しかし、別にリーガルエイドの弁護士たちが損をするというわけではない。僕らも何か不正をしているわけではない。

加えて、僕ら夫婦には親としての考えもあった。
ドタバタとした大変な状況はあくまでも親にとっての話。子供達には子供たちが得るべき楽しい夏休みを、親として提供してあげたい。

もしかすると、これがカナダでの最後の夏になるかもしれない。またこの先、母子でいられる夏はしばらく来ないかもしれない。だからこの夏は、子供達に楽しい思い出を与えたい。これは妻の強い希望でもあった。

どこか車で2、3泊で行ける、いままで訪れた事のない新鮮な場所へ、
そうだ、ケベックへ行こう!

弁護士を探して

ケベックに行く事は決定した。しかし、プラー裁判の弁護士を誰に頼むか、それはまだ決定していなかった。
リーガルエイドが提携している弁護士に頼む話も進んでいたが、腕のよくない弁護士に頼んだところで裁判で良い結果が得られないことは、始める前からわかっていた。やったとしても、ただの時間稼ぎにしかならなかっただろう。

「このままこれであきらめてしまっていいのだろうか?」

自分たちは今まで何をしてきたのか、この先どうしていきたいのか。
カナダに来た目的などを繰り返し思い出す。

プラー裁判では、町一番の腕利き弁護士をたてなければ、まず勝ち目はない。それくらいプラ―は厳しいと聞いていた。
しかし、腕のいい弁護士を雇うにしても、僕らはその費用を捻出できるほどの経済状態にはなかった。

「でも、話だけでも聞きにいこう」

ということで、妻が行った先は、ダウンタウンのリッチモンドストリートにある弁護士オフィスだった。そこのグイディーという名のボスは、モロッコから来たユダヤ系カナダ人だった。彼自身が子供の頃、親や親戚一同と共に迫害から逃れてカナダに来た難民としての過去をもつ。この百戦錬磨の弁護士は、いままでのどの弁護士よりも迫力があった。彼はかつて「難民」であったというだけで、僕らにはとても頼りがいがあった。

モロッコ系ユダヤ・カナディアン、グイディー弁護士


「一刻も早く手を打たないと、全てが後の祭りになってしまう。費用は1万ドル(約100万円)程かかる。全額をすぐに用意できなくてもいいから、行動を起こすのなら3日以内に必ず連絡してくれ。」とグイディー弁護士。

こっちも背水の陣だ。
しかし金はない。どうしたってない。
でも彼らを雇わなければ、カナダに留まることはできないだろう。つまり、日本に帰るしかない。

さて困った。
困りはてた僕は恥をしのんで、日本に住む友達に「金を貸してくれないか」と頼んでみた。
2、3人から丁寧に、金を貸せない旨を伝えられた。断られた。当然のことである。
人に金を借りるということは、とってもセンシティブな事だ。
その友だちとの友情にひびが入らなかったことに、僕はどこかホッとした。
しかしこの先に僕らにふりかかる現実を想えば、とてもがっかりもした。

そんな時、妻の友達(女性)が、日本から大金を送金してくれた。
にわかに信じがたい話である。
どういう会話があったのかは知らないが、その友達はその大金をくれた。
もっとも妻は決してそれをよしとするタイプの人ではないので、僕らはこれを「借りた」ことにした。
しかし、この女友達はなんて男前(女前)なのだろう。僕らの勝手な事情があったにせよ、本当に困った僕らを何も言わずに助けてくれた。

さらに僕の叔父からも相当額の資金を貸してもらった。
何年もあっていない叔父。
僕は親の反対を押し切って直接叔父に頼んでみた。
そんな叔父も最後には何も言わず、大金を送ってくれた。
貸すといっても、いつ回収できるかわからない金だ。
この二人には本当に感謝している。

弁護士の費用は調達できた。
すぐにグイディー弁護士に連絡をして、プラー裁判の手続きを行ってもらう事になった。
グイディー弁護士は次の日早速、一緒に国境サービスエージェンシー(CBSA)に動向してくれた。一刻の猶予もゆるさない状況だった。

この時点では、僕らは「期日内にカナダを出国する旨の書面」にサインをさせられていた。面接所の強化ガラスの向こうに座る防弾チョッキを来たCBSAのエージェントは、訪れる者全てにほぼ恫喝に近いかたちでたたみかけ、出国するという宣言にサインをさせた。出来る限り多くの不法滞在外国人を国外に排除するために躍起になっていた。もしこの場で僕らが「やっぱり帰らない」みたいなことを言いだしたら、一体どんな目にあうかわからないぞ、という迫力を出していた。僕らにあらぬ罪を着せて、その場で逮捕しそうな勢いだった。

しかし、この日のエージェントとの面会では、僕らはグイディー弁護士に言われた通りに応答した。するとエージェントは、今まで僕らだけで面会に来た時とは全く違った態度で応じた。昨日までは刃物でもつきつけるような眼差しで僕らを国外に追い出そうとしていたが、僕らがプラーに申請するということで、あっという間に事務処理をすませた。

「ああ、いままでカマかけられてたのか」そんな思いもしながら、僕らは逮捕されることなく無事にCBSAを後にした。

このようにして、町一番の敏腕(移民)弁護士と共に、僕らの「カナダ在留をかけた最後の戦い」が始まった…

カナダ逃亡記#19>につづく

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