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屋号「柾屋」の再建

 祖父の本家。
自分自身のルーツとなる場所の再建の話。
(2018年末竣工)

2011.3.11  海の中に跡形もなく姿を消した。

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 江戸時代、特に農漁村では、家の地位・所在地・特徴を家の姓に代わるものとして名付けたものが「屋号」。

いつの日か「柾屋」という屋号の由来を親戚から聞いたことがあった。

本家はその昔、船大工をしていたという。
 材木には、板目と柾目という、製材方法によって分けられ、其々に特徴を持つ。使用用途に適した製材方法を選択する。

木船に適した材料の製材方法が柾目であったのだろう。
船大工を営んでいたの家の軒先きには、柾目の木材が並んでいた。
そこで屋号として「柾屋」と名乗った。

「舟屋」や「大工屋」ではなく、この屋号。
材にこだわるような船大工だったのだろうか。
 今の自分が想像すると、とめどなく面白い。

この話を耳にした当時、中学の自分には響くわけがなく、気に留めるような話でもなかった。


将来を考える高校生の自分は、一冊の本から、西岡常一を知り、建築という世界に一気に引き込まれた。
一昔前には当たり前だった、設計から施工のみではなく、積算や計画、職人の手配、お客様と顔を付き合わせて進めていく、全てをまとめ、指揮する棟梁に憧れた。

 建築系の大学を出て、いよいよ工務店での修行が始まるくらいの頃。
 親戚のおじちゃんに、
「なんで親族で大工や建築を生業にしてる人もいないのに、目指そうと思ったんだ?」「何かきっかけでもあったのか?」なんてことを聞かれて、一冊の本に出会って建築を知りたくなったという話をした。

会話の中で、おじちゃんから、実は、先祖で、船大工をしていたことがあるらしい。
と聞かされ、昔聞かされた話と繋がってゾクゾクした。

 放置されて開けられていなかった扉が、かすかに残った記憶と、手引書によって開かれた。

 その先祖の船大工については詳しくは分からないが、何世代もぶっ飛んで、DNAでも授かったのだろうか?なんてことを感じて、嬉しくなったのを覚えている。

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そして、この話をしてくれたのが、「柾屋」の建て主だ。

 柾屋の再建に携わらせてもらうことは、身に余るほど光栄な事で、身が引き締まる思いっだった。

 計画を始めた頃、計画予定地は盛り土され、宅地造成整備の真っ只中。

造成後、そこには一体どんな風景がつくられるのか。

 計画地の造成の中考え始めるということは、設計の趣旨になり得る条件、情報が著しく欠け、しかもその情報は日々、想像が追いつかないほどのスピードで変化していく。
 町づくりと題して検討される地区計画を重ねる度に、
 コミュニティの再建と簡単に口には出来ないほど、小さくも濃い社会が存在していたことを感じる。バラバラになってしまったそれを、新たに形成していくのは、大変な事なんだと、改めて感じたのもこの頃だった。
 ここには誰々さんが建てる予定らしく、こっちには公民館、いや、こっちには誰々さんが移ってくる、云々諸々。
 特に、お年寄りの日々の喜びの一つは、日常にあった家と家間の散歩と、仲良しさんとの会話。
 計画段階から、個人間同士の関係を出来る限り加味することで、暮らし始めてからの安心と平穏の想像がしやすくなるのだと認識した。

祭り


 周りが変化するたびに変わるプランも、まちの大枠が整ってくるのと並行して固まった。
 まちの中心とされるエリアに位置する計画地ということもあり、
ここに居を構えることによる地域での役割、関係性を考えることで、プラン配置や形状は自然と導き出されることを学んだ。

 特徴として二つ、

①北東に配置された、まちのコミュニティの中心になる公民館・広場側との関係。様々なイベントや、行事が行われる温かい場所になるだろう。
建物自体がその場所の行灯になることをイメージして、配置された連続窓と、人が集う多目的な吹き抜け空間。

行灯

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②南側、お辞儀するように低く抑えられた大屋根。
大きく開きたい南側には、大きな幹線道路があり、一番リラックスできるはずのリビングで、車の運転手と目があうような高さと距離感。
 日中もカーテンで塞ぐか、高めの擁壁や植栽を植えるにしても様々な問題がのしかかる。
そこで、幹線道路からの目線の高さを念入りに検討した。

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中から


採光も考えながら軒先の高さをギリギリまで抑えることで、安心感を与えること。
同時に、年に数回ある、沿岸部特有の強い季節風への構造的な対策にもなること。
この安心感を、低く大きな屋根ファサードに反映させること。
そして、無垢の木を南壁に貼ることで、「柾屋」を繋ぐ建て主の意思を込めた。

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目の前から消えて無くなってしまうことの絶望よりも、
時間の経過と共に、受け継がれてきた想いや、文化が薄れ、忘れ去られてゆくことに人は不安を感じるようになる。

「柾屋」の由来を基に再建を進め、形作られたように、
ここでの物語が続き、その時代時代の空気が時を超えながら、伝えられてゆくことを願っている。

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