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寄り添うことは無条件に肯定されるべきことではないのかもしれない〜コツコツdiary〜

私には息子がいる。今年から社会人になった。

勉強もそこそこ、野球もそこそこ頑張って、そこそこのところに進学して、普通に就職した。

私は、勉強も野球も本当に高いレベルで取り組んでいたタイプだったが、両親に厳しくされて育ったため、子供に対しては厳しくしなかった。それが良かったのか、子供は楽しそうに人生を送っているように見える。

その反面、私は厳しくされたためか、今でも何かしら学び続けており周りからはストイックだと言われる。ストイックなことは良い事だが、周りと足並みを揃えるのは苦手で、その辺りに苦労していることもあり、息子には厳しくしなかった部分があるのが本音だ。

社会人になって息子と飲みにいく機会が増えた。息子は昔話を良くする。そこで酔った息子から言われた。

「親父〜何で野球も勉強ももっと厳しくしてくれなかったんだよ、俺もっと頑張りたかったって今なら思うよ」

その時私はハッとした。いつも息子が納得できる、満足できることを基準に接していたのだ。会社では、ストイックさ故に周りに合わせるのが苦手だったため、受け入れてもらうために妥協していた部分があり、それが好評だった。それを息子に対しても無意識にやっていたのだ。

当時、楽しければ良いと思っていた息子も、今は少しずつ意識が高くなっているようだ。私は今までのことを深く後悔した。

「すまなかった」

心の叫びと共に、涙があふれてきた。

「おいおい、そんな気にすんなよ」

息子は何が何だかわからなかった。

この物語はフィクションです。


最近、指導を行なっていく中で、学び続けることの大切さを感じます。同時に、学ぶことの難しさも感じます。私はこれからも学び続けることを頭に入れていますし、そのために考えていきたいと思っております。様々なことを認識して取り組んでいかなければと日々考えております。

それは野球だけの部分では収まらず、日常から考える必要があると感じています。おそらく明日の放送からラジオもパワーアップしていく事が予想されます。ご注目ください。本日の放送も良いものになりました。

今回も野球について考えていきましょう。

伝わらないことをどう思うのか

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