口唇裂の私、幼少期から小学校までの経験。

投稿第2回目です。
まだまだたくさんの人に読んでもらえないけれど、いつか本人が人生の路頭に迷った時困った時にふとこの記事が当たって読んで貰えばいいな。それで元気付けられたらいいな。
という気持ちで書いてます。

さて、今日は私の生きてきた中で辛かったことを人生を区分して記していきたいと思います。

【私が口唇裂を持って生まれて辛かったこと〜幼少期から小学生まで編〜】

私が自分が少し違うと気付き始めたのは物心ついた時からです。
鼻が人とは違うこと、少し潰れていて右の鼻の穴とは左右非対称なことはなんとなく知ってました。幼稚園の年少年中の半ばくらいまでは何も気にしたことがありませんでした。
そこから、年中の後半になって保育園に入ったのですが、ここでたくさんの友達に
「ねえなんで鼻の穴が潰れてるの?」
と言われたり、鼻に指を入れて歪ませたポーズを見せつけられたりしました。
辛かったです。
こういう風に説明しなよ、という風に親に話されていたわけでもなかったし私の家では別に病気のことははっきり聞かされてなかったので世渡りの仕方がまじでわかりませんでした。

また、口唇裂の縫い目の傷跡が鼻の下の人中にあったのでそこが赤くなってしまって色素沈着していたせいで
「鼻血が出てない?」と、友達のお母さんに言われたりしました。
友達のお母さんに言われた時は流石にショックで(と言っても4.5歳だったのですが、それでも自分の中でタブーだったのでなぜ大人のくせにそこに触れてくるのか唖然としました。)
今思うとそういうことを聞いてくる時点でそのお母さんはレベルが低かったなと思います。ちょっとヤンキーなお母さんでヤンキーノリで聞いてきたので低レベルだな、と思ってました。

保育園にいた時はなんとなく口唇裂について触れられた時はまあまあありました。でも私はなぜか保育園にいた時すごくモテモテだったので自分のことが可愛いと思っていましたし、全然病むほどでもなかったです。
たまにいたずらの過ぎる男子にいじられるくらいでした。そこからなんとなく
口唇裂について触れられる前触れの空気が分かるようになっていきました。それくらい私にとっては触れられたくないことだったし、触れられても何となくたぶらかして話題を変えるというスキルを身につけていました。

小学校は私は口唇裂を治した病院の言語教室の先生に「この子はとてもIQが高い」と言われたのがきっかけで両親がお受験をさせてくれました。自分で言うのもなんですが相当頭が良かったので(当時の模試みたいなので上位3パーセントにいました)(IQも130はありました)、割と優秀めの小学校に入学しました。

今考えたらちょい優秀めの小学校に入ったことで公立とかの小学校に比べていじめとかは全然なかったんだろうなとは思います。
が、小学校に上がってからの方が
なんで?と言うような質問はかなりされました。いたずらっ子の男子にも割といじられたりしてました。でも私自身気が強くて弱気な方ではなかったので、本当にいつも強気な姿勢で構えてました。だからいじめられなかったのかな?全然友達もいたし普通の小学生でした。

でも全然口唇裂に対する
なんであなたはそんな鼻が歪んでるの?って言う質問時代は引き続き続いていて、減ることはなく、その雰囲気になるのが最高に嫌でした。
高学年になっても低学年に聞かれるしって感じでした。

小学校2年生の時に、質問をたぶらかして話を変えていくのにも限界を感じて、自分なりに理由を思いつきました。
ブランコから落ちて怪我したから縫った、ってことにしようと考えついたんです。
効果なかったです。笑
あの時はとても必死だったからとにかくそれっぽい嘘をつくことに必死でした。
まあそんな感じで多分小学校低学年中学年くらいの時はやりくりしてたと思います。
絶対にうまれつきの病気であることは誰にも伝えたくなかったという頑固な思いがあったことだけ漠然と覚えています。

小学校の高学年になって、一番辛かったことで覚えていることは一つです。
林間学校に行った時に、女子グループのある一人に
あの子の鼻の下には手術で縫った後がある、
と言われたことでした。
ああ、ついにばれたか、ついに手術痕であることがばれてしまったのかと思って非常に焦ったことがあります。辛くて泣いてしまったかもしれません。とにかく絶望でした。
ひたすら小さい時から隠し続けていたことがバレてしまった、という怯えがすごかったです。周りの人に言いふらされてしまったらバレてしまう、そしたら私はどうなっちゃうんだろう、みたいな気持ちでした。

それから仲良い子に泣きながら打ち明けたことがあります。あっけらかんとしてました。あーこんなもんかと思いました。
でもとても辛くてなかなか言葉に出せませんでした。

今思えば案外口に出せばよかったなとも思います。子供は純粋だからこそ聞いてくるのですが、それがキツかった。そしてなによりも辛いことは、目線です。
鼻に目線が来ることが本当に辛かった。
どんなに仲がいい子でもどんなに私の鼻のことを聞いてこない子でも、目線が鼻にくるのが本当に辛かったです。
聞かれた方が辛かったけど私の目を見ずに鼻の部分ばかり見るのは本当にひどいなあと思っていました。
ある日、男の子と女の子に私の唇の山が左右非対称じゃない?
と指摘を受けたことがありました。
それから私は唇にも気を張る生活を送ることになりました。
当時の私はまだ鼻のことにしか注意がいってなかて、唇は全く健常な形だと思い込んでいたのです。でも本当は手術をすると上唇の山も歪んでしまうんですけどね笑
当時はまだよくわかってなくて、指摘されてその時に初めて分かりました。

こんな感じで私の小学校までの生活はただただ人にこの病気を知られなくない、でも見た目には出るからどうしようもない、目線も鼻にくる、辛くて恥ずかしくてどうすればいいかわからない、ずっとこの鼻の形に悩まされていた小学校時代でした。

実は小学生の低学年の頃は自分で日記をつけていました。
友達関係のこと、色々です。なんかそう言うので一回自殺しようとおもったことがあります。小学2年生の時でした。家が3階建だったので自分の部屋が3階にあってそこから飛び降りようとして足をかけようとしたことが何回がありました。
でもこれも考えてみれば口唇裂のことも辛かったんだろうけど当時の友達付き合いでパンクしてそう言うネガ思考に至ってたんじゃないかと思います。人生でガチで死のうと思った時は2回ありますが、その一回はこれです。

鼻のこととかで云々ガチで悩んだのはこれからです。とりあえず小学生の時は辛かったけど、もうあんまり壮絶なことは覚えていません。多分記憶からなくなったような気がします。
でも全然いじめもなかったので楽しく生きてました。高学年になるにつれてどんどん生きやすくなった感じがあります。
すごく学校楽しかったので。

そんな感じです。
つらつら書いてしまいましたが、とりあえず幼少期から小学校までの私の人生でした。
何かあればコメントとか質問ください。

それでは。
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