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片付けとコンコルド効果の話

本日のBGM Pale Fountains - Benoit's Christmas


昨日親戚の子供とかが来て、クリスマスの先取りってことで麦酒や焼酎などを頂いて、だから今日は二日酔いなわけですけど、まあ気持ち悪い感じではなくて かったるい感じ、そういう日はぜひ寝て過ごしたいものですが 生憎やることがなかなかにございましてそうもいかず、

ってってもそういうコンディションの時は繊細な作業はしませんで、大体粘土作りとかペーパーがけとかの単純作業をやったりするんですけど、今日は庚申窯の片付け並びに展示品の入れ替えをやっていまして、

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ていうのも庚申窯の人たちは収納するとか 整理整頓するとか どのような状態が見栄えが良いのかという判断を司る脳の部位にいささか不具合があるようで、つまり全然片付けられない人たちで、その片付けられない加減がなかなかにひどいのです。

例年だったら年に2回ある陶器祭りの際に整理整頓するので、そのタイミングで一旦綺麗になるんですけど、今年は春も秋も中止になったからその掃除が行われず、まあどういうタイミングであれ私が片付けるしかないのだけど、私は作るものが溜まってて忙しかったので放置しておりまして、

放置していたらどこかの時点で流石に整理し始めるだろうと思っていたら、私の母は焼き物の入ったコンテナを新聞などで覆い隠すと、それはもうなかったことになるみたいで、新聞で覆い隠した上からまた別のコンテナを重ねて というのを繰り返して、焼き物コンテナの地層が出来上がっており、視界に入らなければそれは存在しないのと同義であるというような量子力学の観測問題みたいな思考停止能力を持っているみたいで、

庚申窯のギャラリーに積み上げられた焼き物入りのコンテナは今日全部中身を出して外に出したら20箱を超えていました。最近コンテナが全然足りねえと思ったらそんなに溜めてやがったのか。

二日酔いの時は普段に比べてあまり元気ではないんですけど、そういう時というのは感覚器官が繊細になるようで、庚申窯の荒れ具合に我慢ならなくなるというか、荒れている状態を無視するというのも実は体力を使うんだろうなって感じで、簡単なところから片付けてたら これはもう今日一日でやり切った方がいいぞ、そう言えば年末だし、ってことで夜中までかかって焼き物の整理をしていたわけなんですけど、

今回はもう自分の判断で良くないと思ったものは庚申窯の倉庫a.k.aシベリア流刑地に送ってしまおうと思いまして、ていうのも今までは自分としては微妙だけどそれを好きな人もいるかもしれない ってことで取っておいた焼きものたちが、こいつらもう何年も居やがるな ってことで、君たちはリストラでござんす ってって次から次へと肩たたきしていまして、

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その中には私が作ったものも大量に含まれておりまして、これまで作った焼き物の量はそんなに多くないんですけど、多分種類はかなり多い方で、評価されたシリーズのものもありますけど、箸にも棒にも引っ掛からなかったような奴もありまして、しかもそんな奴の方がデザインを決めたり作ったりするのにかなり時間がかかったり苦労したやつだから、

「これはまだ売れてないだけで そのうちこいつらを好きな人が出てくるかもしれない」などと自分をだまくらかして希望的観測のもと残しておいたのですが、やっぱりダメなものはダメなのです。無駄に粘ってもしょうがない。コンコルドを思い出せ。てことで潔く失敗作たちをシベリア送りにして、

でもしかし失敗作というのは出来が悪い分愛着もあるようで、自分が作ったものでも優秀な奴らはすぐに売れていなくなって、それは大変喜ばしいことなんですけど、私以外誰からも評価されてない 失敗作のレッテルを貼られてしまった焼き物たちはまあ不憫でかわいそうで可愛いのです。最近可愛いというのは可哀想という優越感の上に成り立つ感情ではないかと思ったりしておりますが、

でもその失敗作たちも作った当時はそれにかかった時間とか手間があるから 切り捨てるには惜しい なんて思っていたけど、今見たら同じ方向性で もっといいものが作れると思うので、そのアイデアたちを再採用する日までシベリアでダイヤでも掘っておいてちょうだいな、などと思うのでした。

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あと先日ピアニストの方のミュージックビデオの撮影でもらった枝がいい感じなのです。植物あるとそれっぽくなりますな。ビデオの撮影は冬にするもんじゃねえということを強く思ったので次は多分そのことについて。

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高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目


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