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「私の物語」より、今日の一句㉔

こんにちは。この連載も、今日を含めて残り3日となりました。
なんだか名残惜しいです。

句集「妬心」を出版した頃で、さらに思い出したことがありました。
その書評を、辻井喬さんに、角川の「俳句」に書いていただきました。「飛ぶ前の吐息」というタイトルだったと思います。

辻井喬/堤清二さんとは、週刊朝日の人間データバンクという4ページの人物インタビューで出会いました。当時、セゾングループのトップを引退か?ということで、注目を集めていた時期。単独インタビューは到底無理と思われていました。
そんなこととは無関係に、私は学生時代に「いつもと同じ春」を読み、いつか私がインタビューという仕事をするようになったら、いちばんに会いたい人として胸に秘めていました。
週刊誌の編集部は、堤清二のインタビューができればもちろんいいですよ、と。新聞の・・朝日新聞ですね、上の人間だって会えないのに、アナタが会えるわけないでしょという感じで。

意を決して、私は会社の代表番号に電話しました。すると、電話に出た人が、「それは無理です」といって、ガチャン。ひと言で電話を切られてしまったのです。
私は唖然としました。担当部署に回しますとか、検討しますとかというのが普通です。それすらなく、電話に出た人によって断ち切られてしまったのです。
その対応によって、堤清二/辻井喬さんとの距離がようやくわかりました。やはり、住む世界が違う人、手の届かないところにいる人なんだと。

それから半年ぐらい経った頃でしょうか。公園を歩いていた私は、やはり諦め切れないと思い、手紙を書くことにしました。そうやって電話を切られてしまったけれど、どうしても諦めることができません、と。私がインタビューを手掛けてきた記事と連絡先を入れ、南麻布のご自宅に送りました。
それからすぐ、2、3日後だったでしょうか。「喜んでお受けします。谷口さんのご都合のいい日をお知らせください」という秘書の方からのメッセージが、私の家の留守電に入っていたのです。
そのときの喜びはいまでも忘れられません。思いは通じるのだと実感しました。その後、辻井さんとは鈴木真砂女さんの「卯波」に行ったり、お亡くなりになるまでお心にかけていただきました。

堤清二/辻井喬さんとの出会いで学んだこと。大切に思う人には、人を介さず、直接思いをぶつけること。どんなに雲の上の人であっても。響くものがあれば、必ず受け止めて返してくれます。
インタビューの仕事を長くしてきた私は、いつの間にか、手掛けた著名人インタビューが1000人以上となりました。「著名人の名言」をエピソードとともにnoteに連載していきたいと考えていますが、トップは堤清二/辻井喬さんと決めています。

長くなりました。今日の一句

消す煙草ばかり見ている冬座敷

神保町のギャラリー&カフェバー「クラインブルー」で、俳句の展示は8日(日)まで。左時枝さんとの句画帖「私の物語」も展示販売しています。
今日の一句に合わせた花は木蓮です。