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おっさんの明日に希望はあるか

YouTubeの有料プランに入ったら YouTube Music が付属していたので、結構ヘビーに使ってます。

最近は特にglobeをヘビロテ。当時中学生くらいだったでしょうか、小室ファミリーの中でも圧倒的な歌唱力のKEIKOの歌声にすっかり魅了されました。次々と発表される新曲すべてに感動して、CDもたくさん買いました。

そんなglobeを数十年ぶりに聴いて当時を懐かしみつつ、やっぱりいまでもいい曲ばっかりだなあと感心しています。

そしてベストにも収録されているこの曲。

「FACE」、いい曲ですよね!特に歌い出し。前奏なくいきなり「太〜陽が〜飲まれてく〜」。シンプルな I love you を歌った曲でないことがすぐにわかります。実際、この曲は、恋に癒やしを求めるけれどもそれ自体が辛さを生んでしまう女性のジレンマを歌っています。

そして歌詞中、こんなフレーズがあります。

バス停で おしゃべりしている学生
明日の事は考えてもちろんいるけど
切実さは 比べようもない程明るい
あの人の胸には すぐ飛び込めない

実は私、この箇所を、

バス停で おしゃべりしている学生
明日の事は考えてもちろんいないけど

と歌っているんだと思っていました。いやー当時はイヤホンの音質が…(←嘘です、イヤホンではなく耳が悪いんです)。

最近はちょっとお高いヘッドホンを使っているのもあり、くっきりはっきり聴き取れてしまい、20年間も誤って聴いていたことに衝撃を受けたのですが・・・この一節、なにより内容がグサッとくるのです。

これまでの私の理解に従うと、

バス停で おしゃべりしている学生
明日の事は考えてもちろんいないけど
切実さは 比べようもない程明るい
あの人の胸には すぐ飛び込めない

となり、つまり学生=若者は、明日のことなんか考えていないにもかかわらず、明るく過ごせるんだと解釈していました。

これは要するに、明日に希望があることを認識するからこそ、退屈な今日を明るく生きられるという価値観です。中学生の私はこんなこと考えてたんですね。

しかし、正しくは

バス停で おしゃべりしている学生
明日の事は考えてもちろんいるけど
切実さは 比べようもない程明るい
あの人の胸には すぐ飛び込めない

であり、これはつまり、明日はまた辛く退屈な一日だとわかっている、それでも若者は今日を明るく生きていけると歌っているんですね。

ではなぜ大人は、今日を楽しく生きられないのか。それは、大人と子どもでは、明日の辛さ(切実さ)がぜんぜん違うからだというわけです。

なるほど、大人になってみて、昨日と同じ今日を過ごしている自分には、今日と同じであろう明日に希望を見出すことは、容易ではありません。そう、歳をとり、経験から明日の辛さを予測できるようになるにつれ、明日を求めることは難しくなっていくのです。

皇帝シャルルは昨日を求めた。あなたは、今日。
だが俺は、明日がほしい!

辛く退屈な毎日の中から、小さな幸せを見つけ出し、それを集めていく。ひとつひとつの幸せは取るに足らないものかもしれないけれど、それを時間tについて積分すると、目に見える大きな幸せとなっている。それを信じられるようになることが、大人になるということなのかもしれません。

- 楽しいことだけを数珠のように紡いで生きていけるはずがないんだよ。特にぼくはね。
- 楽しいこと見つけたんだ。楽しいこと見つけて、そればっかりやってて、何が悪いんだよ!
(エヴァ第拾六話)

生きるって、辛いこと・退屈なことのほうがよっぽど多いんです。楽しいことだけやって生きていくなんて、そもそも無理なんです。そんな中で、ほんの小さな幸せを見つけ出して、長い時間をかけて集めていく。その行為自体に幸せを見い出せるようになることが、ちゃんと大人になるということなんだと思います。

大人になるって大変だァ。

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