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芦田愛菜になりたい話

しばらく投稿できていませんでしたが、
今日はワタシのただのつぶやきです^_^

芦田愛菜さんの「信じる定義」についてのお話、
聞いたことありますか?

↓匿名で質問や相談受け付けております。


芦田愛菜様のセリフ

「その人のことを信じようと思います」って言葉って結構使うと思うんですけど、
それがどういう意味なんだろうって考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、
「自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていること」なのかなと感じて。

だからこそ人は「裏切られた」とか「期待していたのに」とか言うけれど、
別にそれは
その人が裏切ったとかいうわけではなくて
その人の見えなかった部分が見えただけであって
その見えなかった部分が見えたときに、
それもその人なんだと受け止められる
揺るがない自分がいる
というのが信じられることなのかなって思ったんですけど。

でも、その揺るがない自分の軸を持つのはすごく難しいじゃないですか。
だからこそ人は「信じる」って口に出して、
不安な自分がいるからこそ、
成功した自分だったりとか、
理想の人物像だったりに
すがりたいんじゃないかと思いました。

これを初めて聞いたとき、
2歳しか変わらないのに
なんて大人でなんて聡明なんだと
本当に感動したのを覚えている。

期待

友達であっても
恋人であっても
期待する
という気持ちはどうしても伴ってくると思う。

ギブアンドテイク
とかもその一種かな。

期待しないって正解?

よく期待しない方が楽
という言葉も目にしますが、
ワタシはその言葉に
ずっとなにか引っかかっていた。

なんだろう
寂しいというかなんというか。
期待しないって本当に正解?って思う。

期待するっていうのは、たぶん
願いや希望が含まれていて

期待しないっていうのは
その願望が叶わなかったときに受けるショックを
あらかじめ回避する
保険のようなもの
だと思う。

叶わなかったとき、確かに失望する
でも
叶ったときの喜びも捨てがたい
そう思ったりもする。

期待しないことで
割り切って考えることができるから
気持ちが楽になったような気がするだろう。

けど、いつか、その
消えたと思っていた期待とのギャップ
重なって重なって、溜まって溜まって
表に出てきてしまうのが
人間じゃないかなと思う。

忘れてはいけないこと

期待したら叶うわけではない
ということ
期待しすぎない
ということ

これらの意識は捨ててはいけない。
自分を犠牲にしかねないからだ。

最後に

期待するって
決して悪いことではなくて
当然のこと。

たぶん芦田愛菜様も
信じる=期待しない
と言いたいわけじゃないと思う。

期待と違ったことも受け入れる
その許容の大きさ

だと思う。

そんな大きな懐を持つ努力
してみようかなと思う。



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