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ゲームデザイン『考えずに打てる強い手を封じる』

例題(八百長〇×ゲーム)

 〇×ゲームは先手が有利なゲームである。ではそれを少し変えた以下のようなゲームはどうだろうか?

 ・基本的には〇×ゲーム。
  マスの大きさ、自分のターンにできる事は変わらない
 ・ただし、勝敗判定が逆である。(3マス揃えた方が負け)
 ・あなたは先手

あなたが打つべき手とその勝敗はどうなるか?

 このゲームは何も考えずにプレイすると先手が負けてしまう(3マス揃ってしまう)。しかし、必勝法はないが避敗法(最悪でも引き分ける手)はある。 さて、どうすればいいだろうか?


(考え終わったら下へ)


答えと解き方

 
 初手は真ん中に置く。その後は相手の置いた場所と点対称の位置に置く。
真ん中はそろいやすく危険に見えるがこの方法を使えば簡単に負けを回避できる。

 解けた人も解き方は人それぞれだと思う。一個ずつ地道に書いても答えは出る。ただ最も模範的なスタンスは 『オウム返しができるか?』を意識していたことであると思う。

 (先手でオウム返しを狙う点で気づきにくい問題ではあるけれど)

・なぜ封じるべきか

 例に出した八百長〇×ゲームはかなり先手不利な上、ゲームが短いため引き分けにしかならない。しかし、このようなオウム返しによる避敗法は十分勝利が狙える打ち方である。

 つまり、①基本的に相手と同じ手を打ち続け、②相手が悪手を打ったと思ったら違う手を打ちアドバンテージがある状態でゲームの実質的なスタートを切る⇒③アドバンテージを保ち、そのまま勝つ というプランである。

 少なくとも私にとって ゲームプレイとは単にゲーム自体から出てくる問題にうまく解答することではない。多人数ゲームにおいてプレーヤーは単に問題の解答者ではなく、出題者でもある
 例えば、MtGにおいて5/5飛行のドラゴンを出すことは「このままだとこいつに(ライフ20/5=)4回攻撃されて負けます。どう対処しますか?」という問題である。それに対して打消しや除去呪文で対応(解答)したり、逆に「そういうあなたがあと2回の焼き呪文で倒されるけどどうする?」とより喫緊の問題を出し返す。

 相手がオウム返しをしている時間は、有効な問題を出すことができず、また、相手からも(オウム返しを封じてみよ以外の)問題が出されることも特にない。これは非常に退屈で空虚な時間である。

 ここまでいかなくとも何も考えず、真似で相手と同等の結果が出せる構造はゲームの考える意味を著しく低下させる。

若干の擁護

 最序盤の2,3手番において消極的な様子見として真似が可能なだけなら取り除く必要はない。真似である程度、ゲームの内容を掴み、実質的なゲーム開始ができるなら、特に問題は無いと思う。
 

封じる方法

Bestな方法

 ①先に動いた側にアドバンテージがある
 例えば囲碁等は場に石を置いていくゲームと言う点が今回例に挙げた「八百長〇×ゲーム」と共通している。
 同様の方法でオウム返しをする事は可能であるが、「囲った方が相手の石を取れる」という先に動いた方を有利にする方法が存在する。
(またそこまでいかなくても普通に有利なあるいは特異な形を作られるため部は悪い)

 ②手札等状況が違う
 ドミニオンは『何を買うか』という選択肢に関してかなり真似ができてしまう。しかし、カードのめくれる順番によって何金出るかが変わってくるため完全な真似を続ける事は不可能である。大抵、序盤の2手か長く続いてもせいぜい4手程度で真似が継続できなくなると思われる。

 また、いくつかの紙ペンゲームでは親番のプレーヤーだけが取れる選択肢を用意する事で真似(や偶然の一致)を封じている

 ③手番順を変える
 
同時プロットや先手後手を入れ替える等、構造上真似ができない方針を取る。

応急処置的な対処

 ④オウム返しを最後までしていたら負けるようにハンデをつける。

 ⑤真似をするような場所に置けないようにする


(余談)昔取ったアンケート

 1年ほど前に ”難しさ”について考えるアンケートで同じ問題を答えてもらった時の結果。
 
 〇×ゲーム:正答率80.5% (37/46人中)
 八百長〇×:正答率63.1% (29/46人中)


考えた事1 〇×ゲームはどう簡単なのか?

 〇×ゲームを簡単なゲームとして例にあげる時なんとなく「この程度の複雑さだと大人には全て把握できてしまう」という説明がつくことが多い。私個人の意見ではこの説明には少し違和感がある

 もし「この程度の複雑さ」を大人が把握しきれるなら〇×ゲームと、八百長〇×ゲームは同じ難易度=正答率のはずだと思う。というかそもそも2割の人間が解ける自信なさそうだし。

 〇×ゲームと八百長〇×に難しさの差があるとすれば、「なんとなく打った手が正解までたどり着く」ではないかと思っている。

 残念ながら(?)思ったより回答してくださった皆さんが優秀で十分な差は出なかった。実際目の前でこの問題を解いている方を見た経験で言えば、〇×ゲーム正答率9割、八百長〇×正答率3割ぐらいの感覚で出したのだが…。フォロワーに囲碁好きでも多かったのだろうか?

 以上を基に過去の記事を書きなおした。
認知の難しさに「なんとなく打った手が正解までたどり着く」という簡単さと似た意味の「正しい答えを候補から外してしまう」難しさ等を追加した。
(ついでに私は立体ゲームを多分今後も作りそうなので、立体はそもそも認知が難しいという事を意識しやすいように追記しました)


あと、まだまとめきれていないので保留にしているが
一回答えを先読みしたらあとその通り石を置くだけ」=再計画発生頻度という観点が難しさの種類から抜けている気がしたのでその点も様子を見て追加します

 (多分以下のTweetのように判断の部分を3階層にするかと思います)

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