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川柳で若い世代にエールを送りたい 23/9/10

1.川柳の一言コメント

「手の届く幸せごはんお味噌汁」

 あなたはどんな時に幸せを感じますか? 子供の頃、それもうんと幼い頃は他愛のない事で幸せを感じていましたね。家族と一緒に朝食を食べるとか、ペットの犬と一緒に散歩に出かけるとか、家族でお風呂に入るとか。

 お正月やお盆など、特別な日はワクワクしました。普段会えない親族と会えたり、お小遣いをもえらたり。誕生日のお祝いをしてもらったときは、最高に幸せでした。

 でも、成長するにつれて様々な事を学び、経験して、自分と他人を比較するようになると「幸せ」が変わってきます。更に、「もっともっと」と欲が出てくると、今まで幸せだった事が当たり前になったり、少しも幸せでなくなったりします。

 いったい、幸せとは何なんでしょうね。あなたは今、温かいご飯とお味噌汁を食べるだけで幸せを感じますか? 私は・・・

2.私の経験で思う事

 上記の川柳は私の作ですが、俗物の私は今、ある日ある時の食事が、お茶碗一杯のご飯と、汁椀一杯の豆腐や大根の味噌汁でおしまいだったとしたら、絶対に幸せを感じないでしょう。きっと悲しくなります。

 でも、もっと粗末な食事で幸せを感じた事が一度だけあります。それは病院で出されたお粥で食事と言えないものでしたが、久しぶりに口から食べた食物で、ありがたくて幸せでした。

 あれは銀行に勤めていた40代の頃でした。私はスカイダイビングをして左大腿骨を粉砕骨折し、そのまま病院に運ばれました。そのとき、意識ははっきりしていて普通に会話出来ましたが、患部の状態が悪くて手術まで一週間かかりました。

 ぐちゃぐちゃになった左大腿骨の部分を引き延ばすため、左足の膝下5cm辺りの骨に穴を開けてワイヤーを通し、重りを付けて引っ張って足を伸ばしました。また、骨折箇所は他に無いかとか、怪我のとき内臓が損傷していないかとか、様々な精密検査もして頂きました。

 骨折手術をする前から体調が不安定でしたが、手術後も二日ほど急に発熱したり、ひどい悪寒に襲われたりで度々ナースコールを押しました。そして、手術以降ずっと点滴で命を繋いでいたのですが、一週間ほど経ってようやく体調が落ち着き少量の白湯を飲むことが出来ました。

 その次の日だったと思います。口からお粥を食べてもいいと医師の許可が出ました。お粥といっても初回は固形物がありませんでした。お粥を炊いてお米を全部除いたものでした。それでも幸せを感じたお粥でした。

 それまで当たり前に出来ていた事が何かの理由で出来なくなると、「今まで出来ていた事は幸せな事だったんだな」と、改めて感じます。このお粥が正にそれでした。

 大怪我での入院治療は半年近くかかり、職場で私の椅子が無くなるのではないかと心配しましたが、銀行は組織でカバーしてくれて職場復帰出来ました。大企業では当たり前かもしれませんが、ありがたくて感謝しました。

 しかし私は今、日本の社会で普通に生活しています。今のところ生活に困窮していませんが様々な欲があります。「お金は沢山あった方がいいに決まっている」と思っていますし、世の中の多くの不幸は金で解決できるとも思っています。

 お釈迦様は35歳の時に悟りの境地に達したそうですが、私は、生まれたときから67歳の今までずっと煩悩まみれです。宗教心が薄くて、たまに葬儀に出席したとき手を合わせはするものの、心の中で何と唱えればいいのか、いつも迷います。

 そのときは、南無阿弥陀仏、又は、南無妙法蓮華経のどちらかを唱えるようにしていますが、葬儀の時だけ唱えても、「こいつは口先だけの男だな」と、お釈迦様はお見通しでしょう。 

 部屋に仏壇はありませんが、神棚を設けていて天照大御神をお祀りしています。しかし、お供え物の、米、塩、水を取り替えるのを度々忘れる罰当たり者でもあります。

 人は、ひとつの欲が満たされれば更にその次の欲が出てきて、欲に際限はありません。私は、生活の中で「煩悩が無くなって心穏やかに日々を過ごせれば幸せだろうな」とは思いますし、「足るを知る」という境地になれれば幸せだろうとも推測します。

 でも、人間社会では欲があるから頑張るという一面もあります。欲を無くする為には仏門に入らないといけないのではないかと、私は考えています。

 では、どうすればいいか。どう生きればいいのか。俗物で煩悩まみれの私は、「取り敢えず社会のルールを守って、気楽に楽しいと思える事をしよう」と考えています。

3.瀬川さんの絵

 漫画家の瀬川 環さんが、この川柳からイメージした絵を描いてくれました。

手の届く幸せごはんお味噌汁

 この女の子が食べているのは、ご飯とお味噌汁だけではないですね。玉子焼きとウインナーソーセージらしき物がご飯の上に乗っています。女の子の周りにたくさん見られる食物は、恐らく、この子の妄想でしょう。

 まあ、10代か、20代としても前半の若い女性でしょうから、ご飯とお味噌汁だけで幸せを感じるには無理があります。もっと美味しい物を食べたいと願うからこそ、学業や仕事を頑張ろうと思うようになるのですから。

 若い頃は、人に勝ちたいとか、一番になりたいとか、お金持ちになりたいとか、有名人になりたいとか、様々な欲求があって当然。それがないと能力が伸びないし成長もしません。変に「足るを知る」等と悟りを開く必要ありません。

 そんな悟りを開くのは、うんと歳をとってからでも遅くありません。まあ、私は悟りを開いても良い年齢ですけど、私は俗物ですから、きっと死ぬまでこのままでしょう。

 私は収監されるような罪を犯した事がありませんが、宗教心が薄いので、死んだら地獄行きかも知れません。でも私は、死後の世界に天国や地獄があるかどうかも分からないのに、今現在、死んでから先の事まで考える必要はないと思っています。もし、地獄に送られたら、その時はその時です。

 今回は、どうでもいいようなつまらない話で申し訳ありません。でも、こんな私でも、「一杯のご飯とお味噌汁で幸せを感じられたらいいのにな」と、年に一度くらいの頻度で思います。そんな時にこの川柳ができたのでした。

 

 

 

 


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