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走る走る。


自転車がサラサラと走る商店街。

その真ん中あたりに八百屋がある。

農家が経営している八百屋で
私はそこで働いていた。

畑、畑、畑、畑、八百屋、畑、・・・。

野菜を育て、売る。シンプルな仕事。

週4日は畑で自然にふれて、週1日は八百屋で人にふれる。
シンプルで豊かな仕事だったと思う。

八百屋の斜め向かいにスーパーがあり、
はじめての店番の日は、店を開ける前にそこでお茶を買った。

レジの列、どこに並ぼうか。

カゴの中身の多い主婦。
あれは時間がかかりそう。

ビールだけ買うおじさん。
速そうだけどちょっと近づきたくない。

弁当とお茶のお兄さんと、キャベツと玉ねぎだけのお母さん。

この列にしよう。

まぁ1分くらいだろう。

ピッピッ、チャリチャリ、すー。

バーコード、お金、レシート。

リズミカルに音が流れて、

それぞれの列が進んでいく。

あれ?

カゴがいっぱいの主婦の方が先に終わった。

ミスったなぁと思いながら、
前の方をのぞき込む。どうなってるのか。

ゆっくりと動く手と見たことのある顔。

「あの人。」


6年前にも、私はこのスーパーに来ていた。
一人暮らしを始めて、よくこのスーパーに来ていた。

あの時も、あの人がレジにいた。

いつも亀のように首が前に出ていて、動くのも亀のように遅い。
ときどきこの人の遅さを見かねて、若いスタッフがレジを交代する。

そんな風景が6年前にもあった。

私はいつもこの人の姿に、自分を重ねていた。

あの時の私は、レストランにいて、いつも急かされていたから。


一人暮らしをしていたのもレストランのためだった。

夜は終電を逃す時間まで仕事が終わらないこともあった。

朝から晩までタイムトライアル。

わかっていたけれど、大変だ。


今も皿を洗うときには無駄なく速くやらねばと思う。

皿をカゴにあげるときは、奥から。

手前から入れてしまうと、次の皿をあげる時、1枚目を越して置くことになるから。

1秒でも早く仕上げたいとき、皿をどこからどういう向きに置いていくかは、間違えてはならないポイント。

そして、一度教えられたら、次からはできていないといけない。

癖で、一枚目の皿をカゴの手前に置くと、視野の広いシェフが「なんでですか?」と言う。

「なんで」って聞かれても理由はない。癖でついやってしまった。
置いたときに私だって気付く。「あっ、間違えた」と。

でも、私が気づくと同時に、もうシェフは言うのだ。

「なんでですか?」

本当は答えを求めてないのもわかる。

「なんで“なんで”って聞くのだろう」

そう思っていた。
答えを求めてないのに人を問い詰めて何になるんだろうか。



人はいつも意図に反した言葉を使う。

答えを求めていないのに、問う。

人に答えてほしいのに、自分の話ばかりする。

人を知りたいのに、人の話を遮る。


そうやって、いつも迷子になる方へばかり行く。


シェフに言い返したいのに、言い返せない。

早く八百屋に戻りたいのに、進まないレジに並び続ける。


あの人は、今日もゆっくりレジを打つ。

レストランのことを思い出す。

今の仕事を考える。

タイムトライアルが嫌だったのに、

またタイムトライアルな職場にいる。


農家は忙しい。
季節は待ってくれない。

蒔くべきときに、種を蒔き。
獲るべきときに、獲る。

袋詰めだって、少しでも速くやる。

人は急ぐ。


平安時代と今じゃ、話す速さも随分速くなったらしい。

植物が育つ速度は、きっと変わっていないのに。



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