故郷のオアシス・神宮外苑の再開発問題について思う事を書きました
はじめまして
私は、キラキライメージ持たれがちな今とは違う、昔の港区青山で産まれ育ちました。結婚して東京郊外に住んでおりますが、実家はまだ南青山にあります。
自宅からゆっくり歩いても15分の神宮外苑は、当然、非常に身近な存在でした。
乳母車に乗せられて・よちよち歩きで・自転車で・車を運転して
家族と・友達と・パートナーと・ペットと
自転車の練習をしたのも、三日坊主のダイエットジョギングも、大人になって人生の辛い時・嬉しい時に早朝の静かな空気を吸いに訪れたもの、外苑の銀杏並木でした。
今その神宮外苑は、樹木の伐採をはじめとして再開発計画に多くの反対が寄せられており、私も気にならないわけがありません。
自分の出来る範囲でこれに関する記事や様々な方々の意見を読んでいました。
どんなに反対しようと、計画は巨大な力によって進められていってしまうだろうから「故郷の魅力がまた1つ減る・もう私の知ってる大好きな街ではなくなる・終わった」と、諦め見放す気持ちでいたところ、、
今月、外苑に近い音楽スタジオで長年レコーディングをしていたというサザンの桑田氏による新曲発表があり、都が伐採計画に待ったをかけ、そして「このタイミングで!?」と驚かずにはいられないNHK朝ドラの展開。
※朝ドラ「らんまん」明治の時代、工業化と軍事化の影響で、神社の合祀と付近の森伐採が推し進めらようとするエピソード
これはひょっとして事態が動くかも?いやいやそんな簡単な話ではないでしょう、事業者側は批判を浴びつつも建ってこっちのものだと思っているはずだし。
それでも私の中で青山や外苑への思い、再開発へ言いたい多くの事がどうにも抑えられなくなりまして、noteを書くことに決めました。正確なデータに基づく論文でも立派な意見書でもありません。一都民の素朴な疑問と、都市と自然への思いといった幾つかを挙げているに過ぎませんので、拙い構成と文章です。
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この再開発で最も争点になっているのが、樹木の伐採問題ですよね。私も生きている樹は1本でも減らしたくない派ですが、訪れる度に感じる外苑の魅力は「空の広さ」も大きいと思っています。
銀杏並木と絵画館を中心に置いた時、左右にひろがる空のありがたみ。
これは何年か前にも台無しになる危機がありました。国立競技場がザハ案のままだったら、絵画館の左側にニョキっと建物が飛び出るところだったそうです。
また、今回の事業者の1つである伊藤忠商事が昔建てたCIプラザ(現在は伊藤忠ガーデンと改名)、銀杏並木に隣接するこの商業施設がいい塩梅に低層であるおかげで、空の広さが守られているのが現在です。
豊かな緑と広い空がセットになって、のんびりした空気が外苑の良さなんだという区民都民の感覚とはかけ離れた超高層ビル建築や、銀杏並木に隣接した新野球場の壁は、充分に吟味された良いプランと言えるのでしょうか。
もともと青山って、昔から住んでいる人からすると、電車が通ってなくて地下鉄とバスしか無くて、故に静かでオフィスと普通の住宅街があるだけ、みたいな場所だったんです。
なんか今は、セレブとか最先端とか小っ恥ずかしい固定イメージを持たれてしまい、出身地を聞かれて困る時が少なくありません。
そんな街に大規模再開発によって
「ショッピングモール出来ます!」→いえ隣に原宿や渋谷があるので
「高級ホテルが出来ます!」→いえ隣の千代田区や新宿区にあるので
「ちゃんと広場も作ります!」→いえ近くに代々木公園も新宿御苑もあるので
外苑に新しく施設や広場が出来ても嬉しくないし、今以上に人を集める必要性も感じないんです。
因みに、もう少し渋谷寄りにある北青山3丁目「ののあおやま」広場は新しいですがなかなか素敵です。
また、今年の秋には国立競技場周辺にも明治公園がオープンします。正直もうお腹いっぱいな感じ。
再開発ってなにか「シンプルにワクワクするものがあり、今迄より便利になって助かる」的な要素が無くてはと思うわけです。
例えば北青山にベルコモンズが出来た時はそれがありました。黒川紀章氏が地域に開かれた公園と言うコンセプトに設計され、外壁は土の色。当初の空中公園スペースには屋台が並び、そこで子供の頃に食べたカルメ焼の味を今でも覚えています。
南青山の旧avexビルも赤レンガ色の外壁が経年で良い味になっていたところを建て替えられ、ベルコモンズも解体され、どちらも黒が基調で申し訳ないですが個性の乏しいビルになっています。
我田引水な比較ですみません、私は今、立川に住んでいるんですけど、コロナ渦に完成したグリーンスプリングスという大型商業施設が生活を楽しく快適ににしてくれています。
高層ビルも建てられたのに、そうはしないゆったりしたオンリーワンを感じさせるプラン、豊かな緑と水を配置して、コンセプトは「これから100年続く場所」とのこと。
約100年の歴史を経て岐路に建っている神宮外苑とどうしても比べて思いを巡らせてしまいます。
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さて、再開発がなぜ計画される必要があったのか?について考えることも重要ですよね。
世間が認識する主目的は球場とラグビー場の老朽化なんですが、識者の方々が挙げるもう1つの理由が
「神宮内苑の森を維持管理する巨額の年間費用捻出が苦しいので、再開発によって明治神宮が森の維持費用にまわす収入を得られる仕組作りが必須だった」
という何とも生々しく困った理由があるそうなんです。
※球場も収入源なので、休場期間が無いよう位置を変えて建設する必要があったとか。
クラファン等で解決を期待できる次元ではないこの問題、本当に事実だとしたら、三井不動産を矢面に立たせて奥で沈黙している明治神宮、ここまで沈黙を貫いていて良いのでしょうか?
有名巨大宗教法人のプライドからでしょうか?
維持管理で苦労している他の神社仏閣への遠慮でしょうか?
真意がわからないままでは、疑問や想像、誤解を生むばかりな気がしますし、実情の説明がなされないまま「外苑の樹ならいいだろう」と伐採する計画は外苑を愛し利用してきた人々を蔑ろにしています。
人間の都合で樹木に価値の差をつけている事に対し「気持ち的に受け付けられない!」という人達がいるだろうと事業者は想定するべきでした。
我が家は自宅の庭一面に芝生を植えているのですが、綺麗さを維持するため雑草を見つけたらこまめに抜いています。うちが購入する前は和風庭園で、既存の松の木やつつじの低木を伐採して芝生にしました。
つまり私も日々、草木の選別をして大事にするものとしてないものが有ります。
人間は生きるため多くの命を頂かなくてはなりません。それらへの感謝の気持ちを忘れてはいけないと思っています。
神宮外苑再開発でどうしても伐採する樹木が出てくる、であれば、それこそ神社なのですからスタート段階で充分な説明をした上で、手をつける自然への慰霊とか供養とか、お祈り・お参り的なものが催されていたら、、計画のイメージはかなり違ったものになっていたのではないでしょうか?
事業者側、特に三井不動産の進め方やアピール戦略は、正直うまくなかったと思います。もちろん今になって企画を立ち上げても手遅れです。
「伐採はするけど新しく植樹もするから数は減らない」と主張する事業者側
「いや今の古い樹木を守りたいので高層ビル建設は歓迎しない」と言う反対側
もはや地下と屋上で言い合いしてる位に落とし所が見つかりません。球場やラグビー場の老朽化における不具合はそのままにしておけないでしょうし、明治神宮の財政難も本当に事実だとしたら、八方良しのウルトラC開発は果たして存在するのでしょうか?
今の穏やかな時間の流れる外苑。賑やかな発展と喧騒は隣接する街に任せて、このまま残ってほしいと思うのは、昔を知ってる私世代の勝手なエゴなのかもしれません。しかし若い世代こそ「価値があるから残される場所」に立ち、リアルに五感で触れる体験をしてほしいと思います。
神宮外苑が「都心でもスクラップ&ビルドじゃない維持例を作るべき」となって、「変わらないから愛される・先の100年もこのまま次の世代へ引き継ぐ存在」になってほしいと願わずにはいられません。
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