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リアルタイムなエッセイVol.44「しらなくてもいいことは、むししよう」

写真はさっき出かけて衝動的に買った本たち。1万円オーバーしちゃったよ。
 
 疲れ果てて心も折れそうだった金曜日の夜。でもなんとか自分で自分を回復させて、週で一番嬉しい土曜日を迎えている。まるでベホイミを唱えたみたい。完璧には回復しないところがベホイミの限界なんだけど。ベホマとか覚えたいなぁ。って何の話しをしているのかな?

今日は大谷さんの45号ホームランをテレビで見ていたはずなのだけど、ほんの数分前からこっくりこっくりとしてしまい、肝心の瞬間を見逃したみたい。こういうところだよなぁ、ほんとに。早く起きるのはいいけどぜーったい眠くなるんだから。でもボクが見逃そうと何であろうと大谷さんはホームランを放った。現実の話で、ボクの虚構の話ではないので、みたかどうかは実際には何の影響もない。

朝も昼もその辺にあったお菓子とかをつまみ食いして、まともな食事はしなかった。そのかわり手数が多い。でもお腹は空くんだよなぁ。平日はお弁当作りから始まって会社で仕事して帰ってすぐ夕食の用意があるから、休みの日はつれあいが起きてくるまでは手を抜く。


 毎日生きてると情報が溢れている。たいがいはなくていいものなので、耳や目から入ってきたものをそのまま出していい。中には別に聞きたくもないことや、知らなくてもいいことまでボクの心の中に侵入しようとしてくる。ボクはできるだけうわの空状態になってそれをやり過ごしている。そしてすぐ忘れる。思い煩わない。たとえ澱のように心に沈み込むとしても、表面上は何もなかったように装う、不思議とそうしていれば何もなかったことになることも、たまにある。

重要なことは自分から積極的に取り込んではいけない、ということだ。

いまは調べたりスマホを見るだけでも、そう言った情報は飛び込んできてしまう。一時的な誘惑に負けてはいけない、そこで踏みとどまって自分から取り込んではいけない。一度取り込んでしまうと、それが癖になり、しらなくてもいいことを結局自分で調べて勝手に沈み込んでしまうのだ。それは取り入れた自分が悪い。

だから、いまボクの身に起こっていることについて、ぼくは自分からは調べないし取り込まない。無視するの一点だ。ただただ時間の流れに身を任せるのだ。知ってもきっといいことは、たぶんない。だったら知らなくてもいい。どんな結末を迎えるにしても、余計な憂いはもうたくさんだ。冷徹な事実だけでもう打ちのめさているのだから。

人生なんて短い。ボクは運命を受け入れる。「運命は自分で切り開く」なんて特殊な境遇の人たちや、何もわかっていない若い人が言うようなことをボクは信じない。

さて夕食は数年ぶりのあるものを食べる予定で、いまごはんを炊いている。あるものの正体は、この後にもう1本エッセイ「ゆうぐれは、ただのしゅふ」を書くのでそこで明かしたい。あるもの、ちょっと楽しみだ。

今日の話はネガティブな感じに見えるかもしれないけど、そう自分に言い聞かせることで心の安寧を得られるなら、上等だと思うんだ。悩んでいるあなたも、まずは調べることを、自分から取り入れることをやめてみたらどうかな? 違う運命が待っているかもしれないよ。

ボクらしくない、運命なんて。

じゃあね、また後で逢いましょ
チャオチャオ!


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