連載125 2024年8月のお酒のエッセイ「お酒の再開時期はいつになるのかな」
休酒してから約100日がたった。
すっかりお酒を飲まない生活にも慣れ、特段、苦はない。アル中ではなかった、ということだ。でも時折、冷蔵庫にしまってある飲んでいないメーカーズマークが可哀想になる。
最近、「もうお酒飲めますか?」とか「次、いつ飲みに行きます?」とか訊かれる。だいたいは、「まぁ飲めるとは思うけどもうそろそろかな」と返事をしている。
ボクの中でも明確な再開時期は決めていない。
自身の体のこととか、そのほかにも飲まない理由はあるのだけど、問題を区別すると、体の面では来月あたり検査があるので、その数字がどうなっているかは、気にしている。誤解のないように言っておくが、医者から休酒を勧められたわけではない。あくまで体については自主的な判断。どちらかといえば、それ以外の理由の方が大きい。
だから言って仕舞えば、多分お酒は明日にだって再開できる。
でも。でも。
気持ちがブレーキをかけている。そんなことをしてはいけない、と。
現実的なプランとしては、限られた、必要な外飲みは近いうちに再開しようかとは思う。気持ちが許せば、の話だけど。でも、それはこちらからGoサインを出したいので、待ってくれている方、もう少しお待ちいただきたい。
状況は刻々と変わる。
いまそう思っていても、また明日にはしばらくダメになるかもしれない。
問題はまだ解決していない、それが事を流動的にしている。でも、こればかりは自分でもどうしようもできないのだ。苦しい、わかってもらえないかもしれないけど。
こんなことしか言えないボクをどうか許してほしい。
2024年8月現在、当時を振り返って。
1週間前に書いて月報プレゼンのラストページに載せたお酒のエッセイ。朝に投稿した、同じく月報プレゼンのトップページに載せたフリーエッセイ篇「しゅふ、爆誕!」に引き続き、1週間後の今日、noteにアップする。
さて、最近バタバタしていて忙しいし精神的にもいっぱいいっぱいだったりする。多分、今の体がどういう状態であるかは、来月のどこかで数字となって現れるだろう。まぁ、問題はそこではないのだけどね。5月以来、いろんなことに制限をかけてきたけど、少しずつ解放はしている、でもこのお酒の解放、そして外での会食に関しては制限を解除するのは一番最後だ。それがいつになるのか、今日現在まだまだ見通しは立っていない。これは自分で決めたことなので、自分が納得できる日を待つしかない。これについては、もうこれ以上は言わない。
ごくごく最近の話を少しだけ。
この2日間いろんなことがあった。非日常といってもいい出来事ばかりだ。それは仕事のこととプライベートのことが半分ずつ。
仕事はまだいろんな部分で最終的な責任を取らなくてはいけないことが残ってるけど、これはもう卒業したい。もうボクじゃなくてもいいと思うんだ。
管理職、そして培った大人の責任感で気持ちを保っている部分が大きいけど、もう全部辞めたいというのが正直な気持ちだ。エンゲージメント(会社への情熱、みたいなもの)というものがここ最近ウチの会社でもその調査とか、上げるための話し合いが行われてきた。それでいうと、ボクのエンゲージメントは緩やかに減少しているとうところだ。自分の人生、最後をいかに充実するために何を重視するか、を考えるとボクの中には仕事は入っていない。あと10年定年まであるのに、これじゃあいけない気もするけど、もう気持ちが離れてしまったのだ。意識高い系とか、アンテナを張るとか、もういいかな。怒られそうだけど。
でも誤解のないようにいうけど、「静かな退職(仕事をやってるふりをしながらラクしながら定時まで働くこと)」は性に合わない。そんなことをするなら困窮しても現実の退職を選ぶ。どんなに情熱が下がっても、ベストは尽くす。それが矜持だ。
ある意味、今年は分水嶺のような年で、責任を取る仕事の移譲をうまく下の子達にやっていくのが、ボクの課題だろう。それをうまくやりながら、ベストは尽くす。そして残りの人生のことを考える。そんな感じだ。
なんか語っちった。恥ずかし。
まぁ本来はちゃらんぽらんな奴なので、無理しないでやりたい、くらいでいいかな。
じゃあ、もういいかな。おやすみなさい。
読んでくれた人に、1個いいことが起きますように。
そのくらい望んでもいいでしょ。せっかく時間を使って読んでくれたのだから。
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